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来年こそ人生をやり直せますように

僕が双極性障害になったのが今から17年前、甲状腺がんになって音声障害になったのが8年前です。病気になった時、なんで自分が?、他にも悪いことをしている人はたくさんいるのに!って思っていました。でも、ようやく今になって、これはバチが当たったのだと、いや、バチというのも綺麗事で、これまで自分がしてきたことの当然の結果だと思うようになりました。

法に触れるような悪いことはしていません。しかし、それ以上に、人として、してはいけないことをたくさんしてきました。裏切り、妬み、傲慢、およそ広辞苑に載ってるようなあらゆる性格の悪い表現を並べても余りある酷いことを僕はしてきたのです。そのことで、家族や友人をはじめ、たくさんの人を傷付けてきました。病気になって、いろんなことが大変になって、僕は自分の境遇を呪い、まるで自分がこの世で一番不幸な人のように思って、ただただ、自分の不幸な境遇を周りの人に理解してもらおうと必死でした。僕の病気は見た目ではわかりません。また、自殺を除けば、生死に関わるような病気でもありません。双極性障害は、躁の時はむしろ人に対して攻撃的になりますし、音声障害も、そもそも僕の声が聴こえていない人には気付いてもらえないことが多いんです。ただ、大変だね、大丈夫?、頑張ってるね、と言って欲しかったんです。自分の辛さに反して、僕の落ち込みを「死ぬわけでもあるまいし」という見方をする人もいて、僕はますます卑屈になり、自分がいかに不幸かをアピールし、その虚しさに落ち込むようになりました。

正直なところ、双極性障害の症状も軽く、通院していれば日常生活に問題はありません。音声障害も会社と家の往復ではそれほど影響はありません。甲状腺がんもおかげさまでこれまで再発や転移することなく順調に来ています。僕にとって一番苦しいのは生活が苦しいことでした。生活を支え、子どもを大学まで行かせるために必死に家事と仕事を両立してくれている奥さんに反して、僕はどこまでも卑屈になり、仲の良い友人でさえ、妬むようになりました。学歴があることも返って僕を苦しめました。自分の周りの人が健康であることを、自分より収入があることを、僕はひたすら妬みました。本当に最低です。

最近僕は、Voicyで心理カウンセラーの野口先生の話を聞いています。その中で、野口先生は自己受容の大切さを語っておられます。でも、僕はどうしても自分を受容することができません。妬みや僻みなど、人として最低なことをどうしてもしてしまうのです。でも、変われるなら変わりたい。やり直せるならやり直したい。大晦日の今日、できることなら新年を迎える明日から生まれ変われるようにとの希望を持って、このnoteを書いています。

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