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嗚呼、僕の消防士人生③

消防という世界には


とんでもないフィジカルエリートがたくさんいた


それはもう今まで
強烈な努力をしてきた人ばかりで


仕事はもちろん、体づくりだったり


今も他の何かに対して


努力を継続している人ばかり


こう思うと、何かを成し遂げた人は


元々のセンスがどうというわけではなく、


頑張ることに長けているから


結果を残すんだとも言える


インターハイ出場、国体出場なんてザラ


サッカーでプロ入りオファーを断った上司がいたり


カヌーで日本代表だった先輩がいたり


甲子園で優勝した先輩に至っては二人いたりとか


地区大会 2回戦敗退の



ハンドボール部副キャプテン
(持ち前の明るさで技術以上に評価されるプレイヤー)



が到底敵う方々ではなかった


でも、やる気だけは人一倍あって


2年目から消防救助技術大会という


レスキューの大会の選手に選んでもらえた


大会の概要をざっくり言うと


素早くロープを渡ったり


素早くはしごを登ったりするやつだ


レスキューといえば

「め組の大吾」に代表されるような
オレンジ色の救助服を着るのが


若手職員の憧れになりがちであり、


誰しもが着れるわけではない


そして
このレスキューの大会で結果を残していけば


いずれはそのオレンジの救助服を着る足掛かりになったりはする


僕がやっていたのは障害突破という


5人1組でやる競技で


3メートルの壁を強力して飛び越えて、

7メートルの梯子を登り、

対岸へロープを渡り、

7メートルの壁をロープで降りて、

90センチの穴を駆け抜ける


ざっくり言うとそんな競技だ



※参考までに
https://youtu.be/mfLSKngVEP0
障害突破の動画で
一番観られてるやつだと思います


ただタイムが速ければいいもんでもなくて、


競技ごとに危険行為とされる減点項目が設けられていて、


それがあった時点で


どれだけ速くても


減点がなかったチームより順位が低くなる


減点があった時点で


救助失敗という考えで、隊として劣っているわけである


我々の自治体の上層部は


減点しちゃうような救助隊はカス、
オレンジの服を着る資格などない


という考えの
いかにも なやつ、だった。


しかしながら


この減点を無くしながら

速くするというのがアホみたいにムズい


ムズイということは


つまり、


死ぬほど訓練しなければいけない


そして結果的に、死ぬのだ


選手1年目は心身ともに死にも死んだ


90センチ×90センチの


暗くて狭いコの字型の道を


空気ボンベを背負いながら


フルダッシュで雑巾掛けするみたいな訓練を
(煙でモクモクになった狭い空間をボンベを背負って、急いで進入するみたいな想定)


午後イチで30本くらいやったとき


全昼食を吐いた


お腹が減るくらい


それを見た先輩に

「お前、昼にのり弁食っただろ」
と言われるくらい


ああ、食べたさ。と思うくらい


それくらい全部出た


カービィが敵に叩かれて
そのまま出るやつみたいに出た


属性が変わるくらい出た


よく噛まなきゃな〜と思うくらい出た


それを見たコーチに
「あ〜あ」と言われるくらい出た


あ〜あ、て
間違いなく波線の伸ばし棒だった


誰も心配なんてしてくれない


それが日常茶飯事の訓練なのだ


頭上に星が回っていたと思う


カービィならエアライドしていたはずだし


目もうずまき状になっていたはず


パワプロの強振で三振した時の顔してたと思う



ゲーム好きだな


端っこで吐いていても訓練は続く


あんどう!いけるか?と

すぐ先輩は確認してくる



なぜなら


僕が抜けているから、


先輩達は訓練が回ってくるペースが速い


どうにかしてあんどう!を復帰させたい


「しゃー!あんどう!いくぜ!」
とか鼓舞してくる


このとき僕の心配などもちろんしていない


先輩方も限界なのだ


過去には訓練中に脱糞した先輩もいた


本当に ギリギリ なのだ


そこまでギリギリのとき、
人は人に理不尽に当たり散らかす


当時一番後輩の僕が作っていたのだが



アクエリの味薄いだろ!とか


知るか黙れやと思ってた


でも心の底から向き合った人たちだ


本当に支え合わないとやっていけないから


結託を強く強くしなければやっていけないから


そんなキツすぎる、4年だった


選手2年目も


ひたすらにキツく、


チームとしてもひたすらに弱かった


朝から夜まで救助訓練ばっかりやって


通常の業務(現場じゃなく若手としての仕事だとか、後輩の指導とか)が


疎かだ。と


夜間の勤務中の


AM3時からAM6時まで説教もされたりもした


知らない人がほとんどだと思うが


説教は1時間を越えると、


視界がグニャリと回り出す


ウルトラマンのオープニングみたいな感じ


これはのちに
何度も経験する羽目になるので間違いない


あれが苦手な人は説教されないように気をつけよう


選手3年目のときには


後輩にちゃんと負けて


ポジションみたいなのを奪われたり


ロープ拾った拍子(50gくらいしかない)に


ギックリ腰になったり、


さあ大会!ってときに


西日本の豪雨の影響で


全国からの援助隊を余儀なくされ、
大会がなくなったり


選手4年目には


2年連続でギックリ腰になって
引退を余儀なくされたり



あまり 報われることはなかった




多分、

その分努力してなかっただけなんだろうけど


でも じゃあもう引退、集大成です
って年に


先輩や後輩のおかげで


ついに東海大会で優勝をして


全国大会出場を決めることができ、


そこまでの色んなことが本当に報われた気がした


自分たちでも


東海大会の1ヶ月後に行われる


全国大会での入賞を目標にできるくらい仕上がっている感覚があったし、


これはもしかしたら

全国大会でもいいところまで行けるのではないかと周りからも言われていた


そして、



岡山で行われた、全国大会


タイムもまずまずよかった


終わったあとはホクホク顔だ


先輩方、後輩とありがとうと言い合った

正直、感動して涙も出た


この、4年をいい形で終われると思った


これは歴史に名を残す、気がしていた


そして、結果が全チーム終了後、発表される



第22位


ドベだった


関西弁で言うのならべべだった


減点だ


視察に来ていたその年限りで退職される署長には、



訓練期間中、本当にお世話になった


いろんな手厚いサポートをしていただいた


ギックリ腰の様子をいつも気にかけてもらった


そんな方に花を持たせたい、本当に思っていた


ドベだったし、べべだった。



気まず


終わったあと


「いやあ、行けたと思います」
とコーチが報告していたのとかも見ていたから


気まずかった


前代未聞の反則負けで


僕の消防救助技術大会は終わった



最強芸人までの道をどうか見届けていただけたらと思います。