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上大謝名(うえおおじゃな)

いつもは車に乗せてもらって通る道をその日は歩いていた。習い事の先生の家へ向かう途中のフェンスのあたりで、後ろから軍用機の音がしてきた。その音はどんどん背中に近づき、日頃自宅や学校周辺で聞き慣れていた大きさを超え、うるさい よりも、怖い が勝り、体が硬直して足が止まった。いまさら振り返ってどうするんだ?と思いながら、無理やり体を右にひねって見上げると、一瞬軍用機のグレーのお腹が見え、そのまま視界を斜めに横切っていった。近い!気がつくとしゃがみこんでいた。

音は遠ざかり、それ以上は何も起こらなかった。胸のバクバクが止まらないまま立ち上がって制服のスカートの裾についた砂をはたき落とした。通る車も歩いている人もなく、空は青くて、私はひとりきりだった。こんなに大きな音がしたのに近所の家々から人が出てきたり、窓を開けたりする気配がない。フェンスの向こう側に列植された樹の隙間から、灯が点滅するオレンジ色の構造物が見えた。滑走路? そういえば、母と習い事の先生が世間話で二重サッシの話をしていたことを思い出した。同じ市内なのに、こんな音がここでは日常なのか。

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子供の頃行ったきりの場所をもう一度訪ね、写真を撮ってみようと思いついたのは、昨年のことだった。候補地の中には、軍用機の降下に遭遇したあの場所もあった。14歳のあの日以来歩いたことはない。習い事をやめてからは車で通ることもなかった。あそこは何だったんだろう。今はどうなっているんだろう。確かめてみたい。ついでに、怖かった習い事の先生の家を探してみたい。怖かった場所と怖かった先生の思い出を辿りたいなんて可笑しいけれど、再訪候補地のほとんどが楽しかった思い出の場所ではない。約40年後の再訪は、何かしらの心残りや謎の回収が目的のような気がする。

今年1月、再訪した嘉数高台の展望台から普天間飛行場を眺めていると、飛行場の南西の角あたりにオレンジの誘導灯が並んでいるのを見つけた。あれ?あそこじゃないのかな?と思っていると、軍用機が滑走路に進入しようとしている。そう、あんな感じの飛行機だった。

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Google マップで確認すると、誘導灯があるのはやはりあの地域だった。そうか、あそこは滑走路の端っこだったんだ。これで謎は解けた。でも、現場にも足を運びたい。

それから1ヶ月後、上大謝名(うえおおじゃな)のバス停近くから横道に入った。40年も経てば変わっていないはずはないけれど、特にびっくりさせられることもなく目的地に到着した。子供の頃はもっと雑草が生えていたような覚えがある。あの日はこのフェンス沿いを向こうへと歩いていた。

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写真の手前、フェンスと、この地域の人達がお世話をしているらしい花壇との間に細い通路があった。こんなのあったっけ?奥は草むらだ。恐る恐る進むと、きちんと草刈りがされた一角があって、そこからフェンス越しに誘導灯の列がよく見える。もしかすると、ここは今、基地見物や撮影のスポットになっているのだろうか? こうしてここを整えているのは、花壇と同じく近隣の方々なのだろうか?
少しモヤっとしつつも、ハブの心配をしないでいいことにホッとしながら、見物客さながらに何枚も撮ってしまった。

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誘導灯の向こうに、沖縄特有の古いお墓があるのに気づいた。

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終戦後、米軍に接収された土地では、生きている人々の営みの形は全て失われてしまったのに、あの世に住う人々のための形は今もフェンス内に存在している。1年に1度はお墓参りが許可されていると聞いたことがあるが、今もあらたな故人が祀られることはあるのだろうか?

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フェンスを離れて、かつての習い事の先生の家を探すことにした。「直前に短い急な坂道があって、門柱から玄関までの距離がとても長かった」という記憶を頼りに歩き、ここだろうという家を見つけた。
はじめてのレッスンの日、母が先生に「この子は学校や他所で叱られ慣れていないので厳しく指導してください」とご挨拶&お願いをするのを聞いて、家であんなに散々叱られてるのにそれだけではダメなのか?と思った。母の要望があってもなくても先生は厳しく、怒られたくなくて真面目に練習したのにあまり上達しなかった。
玄関からすぐの広くて薄暗いレッスン室。先生が座っていた座面の低いウィンザーチェア。壁紙はタバコのヤニで黄色っぽく、その向こうのダイニングはさらに薄暗かった。あれはもう存在しないのだろうなぁ。

2月中旬。今年のヒカンザクラは盛りを少し過ぎたころ。

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沖縄ではポインセチアは多年草。放っておくと2m以上になる。

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このあたりは小高い。見えているのは浦添市あたりの西海岸。写真右下に写っているのは、現代風のお墓。

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この日は散策している間ずっと、近づくことも遠ざかることもない、ヘリのプロペラ音に似た音がしていた。


帰り道、もうすぐ上大謝名のバス停に到着するという時、音がしたので見上げると、誘導灯の方向へ一機降りていこうとしていた。もうちょっとゆっくりしていたら、またあの場所で遭遇できたかもしれない。いや、それはちょっと出来過ぎだよね。このぐらいでいい。今のこの心地のままで帰ろう。

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