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【落語好きの諸般の事情】#29 落語家のTVバラエティ番組進出史問題(完結編)

<前回までのあらすじ>
1982年、吉本興業が「吉本総合芸能学院(NSC)」を創設したのに端を発して、東西の多くの大手芸能プロダクションは若手芸人の育成を始め、徐々に多様化しつつあるTVのバラエティ番組に売り込む体制を整えつつあった。
その一方で、落語界はTV業界から徐々に乖離しつつある。1953年のTV開始年からずっとバラエティ番組で「タレント」としての席を保ち続けていた落語家さんは、1980年の漫才ブームを機に、他ジャンルの笑芸(漫才・コント・ピン芸)にその席を奪われてゆく。その笑芸人は大手芸能プロダクションの所属であった。


時代が昭和から平成に移る前後、TVで新顔の落語家さんがタレントとして脚光を浴びる機会はほぼ無くなった。1985年春に刊行された落語雑誌『落語』第22号(弘文出版)の表紙には、なんとタレントの片岡鶴太郎さんが描かれた。作画担当者の山藤章二氏は「ぬるま湯に注いだ熱湯」と語る。とにかく、そういう時代だったわけ。
数少ない特筆事項としては、関西で人気絶頂期にあった笑福亭鶴瓶師が、1986年2月からTBSで『世界No.1クイズ』というゴールデンタイムの番組の司会を担当、本格的東京進出を始めたことと、林家こぶ平師(1988年真打昇進、正蔵襲名は2005年)がマスコミに露出し始めたことか。こぶ平師は二ツ目時代の1985年からアニメ『タッチ』に声優として参加、またWAHAHA本舗にも旗揚げ当時(1984年)から座員として在籍して話題となった。
ただしいずれも「塊」ではなく「個」であったことは以前と変わらない。

その状況に変化が訪れたのは1990年4月だった。当時としてはある意味画期的な土曜の深夜番組『平成名物TV ヨタロー』(TBS)がスタートしたのだ。
関東の落語団体四派が二ツ目以下の若手を送り込み、チーム対抗で大喜利やコントをやるという、時代がイッキに30年ぐらい戻ったような番組内容。ある意味画期的、というのは要するに逆の意味で、ということ。正直「なぜ今?」と思った。ちなみにMCは松尾貴史・早坂あきよのお二方。桂米助師が「ヨネスケ」名義でレギュラーだった。
チームは、立川ボーイズ(談春・志らく・朝寝坊のらく)、芸協ルネッサンス(昇太・柏枝・柳八)、落協エシャレッツ(あさ市・窓里・文吾)、円楽ヤングバンブーズ(愛楽・優・好太郎)の4つ。芸名はすべて当時名で、廃業したのらくさん以外は現在全員真打。
チームの人気はここに並べた順で、何かというと話題を危ない方向にもって行きたがる立川ボーイズの芸風が、時間帯や当時の風潮に最もマッチして一番人気。その次が昇太さんで、なぜか愛楽さんはオネエキャラで人気を得た。

番組はなんだかんだで丸1年続き、談春・志らくのお二方は当時各局の深夜番組に露出するようになった。深夜番組枠の全盛時代である。ただし一方では、TV的でない呑み屋のノリでレギュラー出演する芸人さんもいて、今思うと玉石混交感が強かった。精選されたメンバーで見映えが良い近年の若手出演番組とは、ここが明らかに違う点だ。
とはいえこの『ヨタロー』グループのメンバー数名が、番組終了2年後の1993年に旗揚げ公演を行う若手落語家ユニット「落語奇兵隊」に参加しているのだから、10数年後にやって来る「落語家ユニット売り時代」の礎にはなっていたのかもしれない。

1990年代に入ると、前述の林家こぶ平師がタレントとして台頭してくる。甲高い声の小太り坊ちゃんキャラがTVを通じて全国に浸透し始めた頃だ。
一方1992年4月からは、かつて『らくごin六本木』で落語家としての腕も魅せた放送作家・高田文夫氏が率いる若手芸人ユニット「関東高田組」を結成。ユニットが総出演するフジテレビの深夜番組『たまにはキンゴロー』がスタートした。落語界からは、人気継続中の談春・志らくのお二人や同年5月真打昇進の昇太師の他、桂竹丸さん、春風亭勢朝さん、三遊亭新潟(のち白鳥)さんらが出演(昇太師以外すべて二ツ目)。さらにヨネスケ師+三遊亭小遊三師のコンビや林家ペーさんも登場する、ディープでマニアックな笑芸キャラ番組だった。

「関東高田組」のユニット出演番組は、『~キンゴロー』終了後も『夜鳴き弁天』(同年10月から)『ピロピロ』(1993年4月から)と続く。ただし落語家さんの出演は徐々に少なくなっていった。
代わりに同じ番組制作会社によって1993年4月から始まったのが、立川談志師がレギュラー出演する深夜の本格的落語番組『落語のピン』(フジ、レギュラー放送は同年9月まで)である。番組については「バラエティ進出史」のテーマから外れるので深くは触れないが、この番組を機に談志師の落語会のチケットがプラチナ化したという話。
ちなみに『落語のピン』で落語がオンエアされたメンバーは、談志・小朝・志の輔・米助・小遊三・こぶ平(正蔵)・小緑(花緑)・藤志楼(高田文夫)・昇太・志らく・談春・あさ市(玉の輔)・たい平・新潟(白鳥)・文吾(文蔵)・三太楼(遊雀)・助平(一琴)・志雲(雲水)といった面々。見事なまでに21世紀の落語人気を支える錚々たる顔ぶれ、あるいはこれまで本コラムでキーパーソンとして登場した人たちばかりである。

『落語のピン』以降、大人の趣味雑誌やムックなどで落語特集が企画される機会が目立って増えた。ただし中心は東京落語。上方落語は四天王人気が健在だったのと、落語家さんが所属する事務所の売り込み体制が完全に落語以外の芸人さん(漫才・コントなど)にシフトしまっていた頃で、芸人さんの並ぶネタ番組に顔を出す落語家さんは皆無である。その分、本業であるライブ活動によって独自のファン拡張を図るのが主流となった感がある。
その中にあって、とある凶悪事件に巻き込まれかけた桂あやめさんが、事件をきっかけにマスコミ露出を増やしたのが印象的だった。ちなみに吉本興業が落語に対して腰を上げるのは、ここからさらに10数年後となる。

そして、いよいよ2000年代。
21世紀に入って間もない頃、東西の大看板が相次いで他界、落語界が慄然とする。それと同時に、あちこちでユニット活動が始まった。落語家さん同士が結束する場合もあれば、プロデュースする人が現れて企画を立てる場合もあり、ともかく落語界がにわかに慌ただしくなってきたのは確かだ。
ここで2000年代に誕生した落語家さんのユニットと創立時のメンバーを列挙してみる。

☆六人の会(2003年旗揚げ)
メンバー=小朝・鶴瓶・正蔵・昇太・志の輔・花緑
☆SWA(2003年頃旗揚げ)
メンバー=彦いち・白鳥・神田山陽・昇太・喬太郎
☆大江戸台風族(2003年旗揚げ)
メンバー=久蔵・さん光(甚語楼)・太助(我太楼)・栄助(百栄)・志ん太(志ん丸)・きん歌(鬼丸)・天どん
☆坊ちゃん5(2005年旗揚げ)
メンバー=いっ平(三平)・きくお(木久蔵)・王楽・春菜(春蝶)・八光
☆新作集団DIMA(彦いち師の指南により2009年旗揚げ)
メンバー=染弥(菊丸)・三若・文鹿・由瓶・三幸

これらのユニット活動の多くは、大手芸能事務所のTV席巻に対抗してという趣旨とは関係なく、あくまで大御所の他界に基づく落語そのものへの危機感という理由からである。
唯一違うのは放送作家・植竹公和氏がプロデュースした「坊ちゃん5」で、これは明らかに「落語家ユニット売り」を意識したものだ。
なぜなら、旗揚げ時期がTBSの落語ドラマ『タイガー&ドラゴン』が開始した2005年と時期が重なるためだ。考え方はそれぞれだろうが、ここに至っていよいよ落語界が「タレント売り」の対象としてTV関係者の目に留まるようになったのは、これまでに無い記念碑的な出来事だったといえる。もっとも成果の方はよく知らない。

さて、『タイガー&ドラゴン』がようやく登場したところで、ここから先はイッキにテキトーになります。間違いなく大抵のことはネットで探せば見つかるはずなので。詳細は各自随時調べてください。さすがに疲れた。

2007年秋、『笑点』の司会が桂歌丸師に交代したあたりから、日本テレビ系のバラエティ番組に笑点メンバーがゲスト出演する機会が増加。2016年には林家たい平師が日テレの看板番組『24時間テレビ』でマラソンランナーに抜擢されるまでに。それと並行して、日テレ以外の各局でも笑点メンバーを見かける機会が増えだした。なんたって常時視聴率15%のお化け番組。「数字を取れる落語家さん」といえば笑点メンバーなのだ。別の角度からいうと、『笑点』でレギュラーを取るということは、そういう意味も含まれるわけだ。

真打上がるか上がらないか頃の三遊亭王楽さんを『ペケポン』(フジ)のなぞかけコーナーで見かけたのはいつ頃だっけなぁ。まったくの不出来で、フォローのためそのあと好楽師が出演したんだよなぁ。あ、なぞかけだから2010年頃か。今の円楽師も出ていたはず。円楽師といえば、『Qさま!』(テレビ朝日)で元弟子の伊集院光さんとも共演してたっけなぁ。

さらに2007~2008年にはNHKが朝ドラ『ちりとてちん』を放映。今まで落語と縁の無かった芸能人が着物を着て落語を演じる番組企画もちょいちょい出てきた。逆輸入状態だ。
実は私、以前からこのへんの逆輸入に関する記録を追っかけていて、自分のサイト「なかむら記念館 落語別館」にて「落語芸能人リスト」という記事をまとめてあるので、お時間があれば御一読を乞う。

そして2010年以降となると、落語家さんも歌舞伎界や宝塚OG等と同じく、芸能の一ジャンルとしてどの局にも認められた気がする。
繰り返すが、TVでタレント活動をすることが是とは言っていない。高座だけで落語家人生を勝負するのも本人のポリシーであり、その一方でタレントとして顔を売るのも同様に本人のポリシーである。それぞれのポリシーを私は全面的に尊重する。
そのうえで、これまで4回にわたって書いてきた落語界の先人たちとTVマスコミ(プラス大手芸能事務所)とのせめぎ合いがあり、TVという限られたスペースでの陣取り合戦に、長年の雌伏期間からここ数年でようやく再復活を果たしたことを、40年来の落語好きかつ50年来のTV好きの立場から嬉しがっているのだ。

今後も多くの落語家さんが活躍するTVバラエティが増えることを切に祈る。できれば笑点メンバーに偏らなければもっといい。
もう一つ、願わくば、2014年にフジが半年だけ放送した『噺家が闇夜にコソコソ』を再び放送してくれないだろうか。あの番組は落語家さんの本領を発揮するのに最良かつ理想的なバラエティだったと思うから。

(あー長かった。今回だけで前3回分以上あるなぁ。ただ表現が若干過激になりすぎた箇所があったので、そこだけカットしました。有料オマケ欄の末尾に移しましたので、お気が向きましたらぜひ。すいませんね)


さて、ここから先は今回のオマケです。
過去に拙サイト「落語別館」の日記やブログなどで書いた、東京時代に足を運んだ寄席と落語会の観覧記。それにちらっと説明を加えてのリサイクル公開(一部本邦初公開もアリ)。29回目は、2004~2006年の記録その19。今週掲載するのは2006年5月+6月の落語会。私の観覧履歴の中で最も悲しかった公演や、時代の変化を少しずつ感じる落語会など、計6公演。自作落語の口演記録もちょこっと。

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