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【落語好きの諸般の事情】#19 古典落語における「時代のホルマリン漬け」問題

昭和の名人落語家のCDを聴いていて、噺の途中、唐突に古典落語らしからぬ現代っぽいフレーズがぽつんと入り混じることがある。
その印象がとりわけ強いのが三遊亭円生師で、『盃の殿様』における「機動隊が一個中隊」とか、『左甚五郎』における「流行のウールでございます」とか、『死神』における「アジャラカモクレンJOAK」とか、いずれも最初聴いた時は一瞬耳を疑った。
古典落語に唐突にミスマッチな言葉を入れるのは、「世界観が壊れる」という理由で基本ご法度。しかし『死神』に関しては、円生師のような第一人者クラスの落語家さんが先陣を切ってやっていたため、『死神』の「アジャラカモクレン…」の後はどの演者も好き勝手な言葉を入れてよい流れになり、現在に至っている。

時代が下って昭和後期になると、古典落語の名パロディスト・八代目橘家円蔵師が登場し、率先して古典落語の世界観を破壊した。円蔵師の場合は、現代フレーズの後に「そんな言葉を入れるから新聞の読者欄で叩かれる」とセルフツッコミを入れ、ここまでがワンパック。
あと放送でリアルタイムで聴いてウケたのは、先代三遊亭円楽師の『花見の仇討ち』。悪役の浪人者の名前が「毒蝮三太夫」だった。また現在の三遊亭金馬師が四半世紀前に演じた『権兵衛狸』では、親方が狸の髪型を「カール・ルイスみたいにするか?」と尋ねるシーンなんてのもあった。

もうひとつ強く印象に残るのは、先代桂小南師の『いかけや』。悪ガキの中にいる女の子の「私の選んだ人見てください」という1959年の流行語(昭和天皇の五女・清宮貴子内親王=現・島津貴子さんの発言)を、晩年までクスグリとして使っておられた。1962年生まれの私は当初このフレーズの出自を知らず、後に読んだ流行語史の本で初めて知ってえらく驚いた。時事ギャグが数十年間そのままの状態で残るという、さながら時事ネタギャグのホルマリン漬け状態である。ただ個人的にこのテのギャグは、昔の邦画で半世紀前の東京の風景に巡り合ったようで、実は嫌いではない。
他にも三代目春風亭柳好師の高座のマクラに出てくる戦後の流行語「よくってよ」とか、三代目三遊亭金馬師の『雑俳』に出てくる「人工衛星犬を乗せ(ライカ犬)」とか、八代目三笑亭可楽師の『笠碁』に出てくる「放射能の雨」とか、1960年前後の音源は割とこのへんのネタに事欠かない。

一方、「伝統を現代に」と若手の頃から主張した立川談志師は、時事漫談はしても、落語本編でこういったクスグリの挟み方はあまりしなかったと記憶する。あったとしたら地噺のト書き部分か、『山号寺号』『りん廻し』のように大喜利的にアイディアを並べるネタ限定だったのではなかったか。その流れを受け継いで、志の輔師を始め、談志一門は意外とこれをやらない人が多数派。円蔵師に次ぐパロディスト・快楽亭ブラック師は例外で、改作してタイトルも変えて演じることも多かった。
そして21世紀以降は、現代フレーズを古典に織り交ぜる流れと並行して、噺全体まるまる現代を舞台に改作する流れも確立した。三遊亭白鳥師や立川談笑師など、次世代の旗手を務めるパロディストたちの多くが、かつて数多くのホルマリン漬けギャグを生んだ1960年代の生まれなのも、縁を感じて興味深い。

落語が仮に笑いの一ジャンルであるとするなら、時事ネタを盛り込んで笑いを取ることは一つの手段。一方で、それはよくないとする落語家さんや落語ファンの存在もあり、要は認識の違いが生じているわけ。落語はいろいろな側面を持つ芸能だけに、どちらが正しいとは言い切れるものではないが、一番いいのは聴く方が演者の芸風によってスイッチを切り替えて、両方楽しんじゃうことかもしれない。


さて、ここから先は今回のオマケです。
過去に拙サイト「落語別館」の日記やブログで書いた、東京時代に足を運んだ寄席と落語会の観覧記。それにちらっと説明を加えてのリサイクル公開(一部本邦初公開もアリ)。19回目は、2004~2006年の記録その9。今回は前回に続いて大名跡の復活がありました。

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