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【好きな落語家、好きなネタ】第6回 林家彦六

4コマ漫画家兼落語作家にして「落語音源コレクター」の顔も持つ私なかむらが、自分の音源コレクションと観覧体験を元に、好きな落語家さんのネタのベタな思い出をひたすら書き綴るコラムです。
第6回は、林家彦六の名で1982年に亡くなった八代目林家正蔵師について。

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今回は初めて「間に合わなかった人」について書きます。
つまり、落語好きとして「同時代を生きられなかった人」。

一般的には、「笑点」でおなじみ林家木久扇師と三遊亭好楽師の師匠(好楽師は彦六師没後、五代目三遊亭円楽門下に移籍)として有名な師匠。
木久扇師は彦六師が亡くなってすぐの頃から、師弟のエピソード漫談を『彦六外伝』のタイトルで高座にかけておられ、師匠の物真似もその中で完成させました。もっともここ最近の木久扇師は、物真似をやらなくても晩年の彦六師っぽいですよね。年齢もほぼ一緒だからなぁ。

最初に彦六師の落語を聴いたのはいつだったかなぁ。
正直、落語を熱心に聴き始めた当初は、彦六師がすごく苦手でした。
自分は笑いがたっぷり入る上方落語から入ったので、あまりに演出が淡泊で笑えないし、五代目柳家小さん師や立川談志師のような抑揚ある演技もしない、平坦なしゃべり方だったんです。
そして何よりしゃべりが丁寧というよりスローモー(もちろん晩年だったため)で、好みでなかったなぁ。

しかし、その後落語の音源コレクションの数を増やし、聴く数を増やしていくうちに、「あ、彦六師のこの演目は好きだな?」と思えるネタが、何本か出てきたのです。
親子の人情を描いた江戸噺『火事息子』、怪談テイストの『一眼国』、あと『中村仲蔵』がいいですね。歌舞伎の名人噺で、淡々とした口調がここではハマります。
それから『あたま山』。キテレツ落語として有名ですが、意外と演者の少ないネタ。
彦六師の芸談の巧さ、人間味あふれる数々のエピソードを知ったのは、その随分後でした。

持ちネタの数はめちゃくちゃ多く、スタンダードな古典落語はもとより、「文芸落語」と称された有名作家の筆による落語、さらに古風な珍しいネタも数多くお持ちでした。
珍しいネタのうちCDに残っているタイトルを列挙しますと、『芝居風呂』『柳の馬場』『伽羅の下駄』『松田加賀』『首屋』『村芝居』等々。私が特に興味あるのはもっぱら珍ネタの方なんですけど。

彦六師が他の「昭和の名人」と並んで、落語関係者の間で一目置かれる存在である理由は、そのキャリアと数々の芸談の記録を残した事実もありますが、何よりも昔から伝承された道具立て演出を施した怪談噺と芝居噺を最晩年まで唯一演じ続けた点でしょう。
(道具立てとはいわゆるセットのことで、寄席サイズの衝立のような背景を用いたり、紙の雪を降らせたり、山場で衣装の早替わりをしたり、怪談ではラストで幽霊に扮した者を客席に登場させて驚かせたりします)

こちらに関しては、岩波ホールが映像として保管していて、以前CSで放送した際に何本か録画しました。感覚としては、演芸ではなく人形浄瑠璃とか文楽とかの伝承芸能の世界に近いですね。
芝居噺は現在、直弟子の林家正雀師がやはり唯一継承していますが、正雀師によれば「後継者はいないし無理に継がせない」ということ。
怪談噺の幽霊は他にも演者がいるようですが、少なくとも芝居噺の方は当代限りとなりそうです。

それはそれとして、私の中で決定的に彦六師が「気になる存在」になったのは、2003年に台東区東上野5丁目、昔でいう稲荷町に転居して以降でした。
彦六師は生前この地に長く住み、楽屋内では「稲荷町の師匠」で通った人。師の代名詞にもなった長屋の跡地も、うちから歩いてほんの数分の場所でしたし、木久扇師匠の『彦六外伝』に登場する銭湯も、昔のままの外見。
「あー、彦六師匠は、この銀座線の出入口を使って、寄席に出かけたんだなー」
そんなことを頭に浮かべながら、10年間を稲荷町で過ごしたのでした。
また歩きたいなぁ、あのあたり。(第6回・了)

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