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【落語好きの諸般の事情】#16 21世紀落語界における「しんぶん爺」問題(前編)

明治時代、一部の歌舞伎通が「九代目団十郎と五代目菊五郎はよかった」と昔の看板役者を引き合いに出しつつ現状を憂いた故事から、回顧的に「昔の〇〇はよかった」しか口にしないファンのことを揶揄した「団菊爺」というフレーズが生まれ、後世まで残った。これは今から約35年前の落語雑誌に載っていた、劇作家・榎本滋民氏の文章からの引用。
この文中で榎本氏は「志ん生・文楽を聴いていない落語家が出てきて驚いた」とも書き、「自分も『しんぶん爺』にならないよう自戒する」と続けている。繰り返すが35年前の記事である。八代目桂文楽は1971年没、古今亭志ん生は1973年没だから、現在はむしろリアルタイムで聴いた経験がある落語家さんの方が少なくなったのではないだろうか。
いや、落語界は長生きの方が多いから、まだ半分ぐらいはそうなのかな。

21世紀に入り、世代的なものも含めて落語のファン気質が大きく変わって以降、現在はかつてほど生高座絶対論者は多くなさそうな気もするが、現在は「オレは〇〇をナマで聴いた」という自慢をしている人ってどれぐらいいるのだろう。というか別に、ムリヤリ自慢という枠組みに入れるからイヤな先入観が付いちゃうわけで、そうする必要はない。その人がナマ高座を見て感じた空気とか、前後のちょっとしたエピソードとか、同席した客たちのザワザワぶりとか、そういった部分にとても興味がある。これを単なる自慢といっしょくたにするのは違うと思う。

で、そんな長ーい前フリから、自分の団菊話をしようと思う。ここまでは単なる言い訳だったのね。
といったところで、今回は予定文字数終了です(汗)。この続きはまた来週。


さて、ここから先は今回のオマケです。
過去に拙サイト「落語別館」の日記やブログで書いた、東京時代に足を運んだ寄席と落語会の観覧記。それにちらっと説明を加えてのリサイクル公開(一部本邦初公開もアリ)。16回目は、2004~2006年の記録その6。

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