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【落語好きの諸般の事情】#15 「寄席芸人は突然いなくなる」という問題

先週は1回お休みしてすいません。

年末は自分のブログで、自分が趣味のジャンルでその年亡くなった人の名前を列挙し追悼する。2006年から始めてもう10年以上経つ。
今年の寄席演芸の世界では、寄席でナマ高座に接した芸人さんに限定すると、三遊亭円歌師と大阪の漫才師・二葉由紀子さんのお二人が彼岸に発たれた。
円歌師の功績や芸風は今さら私が言うまでもない。二葉さんは2015年12月に名古屋の大須演芸場で初めて見て、ご主人の羽田たか志さんが弾くアコーディオンに合わせて流行歌を歌うトラッドスタイルの漫才に感銘し、また見たいと思っているうちに観覧機会を作れず終わってしまった。謹んで御冥福を。

寄席芸人の方々の訃報は、いつも急だ。ある日突然いなくなる感覚がある。
2006年以降でいうと、漫談のローカル岡さん(06年)、先代古今亭志ん五師(10年)、ニューマリオネットの伊原寛さん(11年)、橘ノ円師(14年)、津軽三味線の太田家元九郎さん(同)、先代三笑亭夢丸師(15年)、そして昨年の三遊亭円雀師と江戸家猫八さん、といったあたりにそれを強く感じた。あくまで個人の感覚なので共感は求めないが。
病気による急逝の場合もあるが、大抵はずっと通っていた寄席でいつの間にか見なくなって、しばらくしたら訃報が出て、言い様のない漠然とした頼りない気持ちだけが心にポッカリ残る。そんな経験は実に多い。
他の芸能人よりも垣根が低い、親しみが湧きやすい、そんな印象が強いのが寄席の芸人さんの特徴なのだけど、亡くなって感じるこの言い知れない気持ちは表現が難しい。子供の頃からよくしてもらった近所のお店のおじさんが亡くなったと聞いた時の感覚に近いかもしれない。
これが志ん朝・談志・米朝・春団治といった落語史の年表に載るような大看板になると、またニュアンスは多少変わってくるのだけど、それはいずれ機会があれば。

さて、ここから先は今回のオマケです。
過去に拙サイト「落語別館」の日記やブログで書いた、東京時代に足を運んだ寄席と落語会の観覧記。それにちらっと説明を加えてのリサイクル公開(一部本邦初公開もアリ)。15回目は、2004~2006年の記録その5。

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