note落語コラム題字2

【落語好きの諸般の事情】#20 高座の決定的瞬間と落語ファンの関係性問題(前編)

先日書いた「しんぶん爺」ではないが、「自分はあの伝説の光景をじかに見届けたことがある」というエピソードは、落語ファンに限らず誰でも一つや二つは持っている。落語に限らず、プロ野球で言えばあの年優勝したあの球団のあの決勝ホームランをスタンドでナマで見たとか、あの乱闘シーンを目撃したとか、そういうやつ。

落語の世界における伝説の光景としては、古今亭志ん生師が高座で居眠りして、前座さんが起こそうとしたら客席から「寝かせといてやれ!」って声が飛んだ話が有名。どう少なく見積もっても50年くらい前の話だから、現在生き証人がいるかは微妙だが、何人くらいナマで立ち会ったのだろう。志ん生師があちこちの寄席で居眠りしていたのなら目撃率は高まるのだろうけど。
近年では立川談志師が居眠りしている客を退場させた高座とか、もっと最近では改装前の旧大須演芸場が差し押さえになる瞬間の快楽亭ブラック師の高座なんてのも該当する。ただし前者は事件の顛末がネットで広まったし、後者に至ってはYouTubeでその瞬間の動画が公開されている。志ん生師の時代と同様のプレミアム性をネット時代に求めることには土台無理がある。

高座における伝説のエピソードというと、かつてはせいぜい友達同士の間の噂話として口から口へゆっくり伝わっていくものだった。で、その客席の中にたまたま居合わせた文筆家の先生が随筆に書いたりして、それが読者の間で広まって多くの人が知るところとなる…というパターンが常だった。現在はそんな悠長な展開は無い。SNSで発信されて数時間後には知れ渡る。なんなら本人が率先して公表したりして。

読んで面白いと感じるエピソードには、当然のごとく人間性がほの見える。特に著名人ほど世に出るエピソード数は多い。これに高座ぶりが加味されて、落語家としての芸人像と人間性が読者の頭の中でないまぜになる。そうして人それぞれの芸人像が脳内で完成されるし、しやすいのが当節のネット時代である。よくも悪くも。

で、ここから私が高座で見た決定的瞬間の数々を並べようと思ったのだけど、例によって予定文字数終了でございます。続きは次週。


さて、ここから先は今回のオマケです。
過去に拙サイト「落語別館」の日記やブログで書いた、東京時代に足を運んだ寄席と落語会の観覧記。それにちらっと説明を加えてのリサイクル公開(一部本邦初公開もアリ)。20回目は、2004~2006年の記録その10。今回は真打昇進披露興行と、私の書いた落語が上演された記録。ちょっとした事件と、それに関連した貴重な高座もありました。

ここから先は

1,995字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?