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山奥禅寺軟禁合宿

 地元は山が近いこともあってか、教職員や保護者などの大人たちは子供に何かを集中的にやらせようとすると山奥の禅寺に連れていく傾向がありました。勉強しかり、部活しかり。いわゆる合宿というやつです。

 これが嫌で嫌で仕方がありませんでした。何しろ禅寺なので朝が早い。出される食事は精進料理なので肉はもちろん、魚もありません。俗にまみれた子供にはつらい。最終日にカレーが出たと喜んでいたら、肉の代わりにコンニャクが入っていました。しかし、最終日ともなると日々の精進で疲れ切っていましたから、「カレーが出るだけ御の字」という精神になっている。多分、寺側の術中にはまっていたんだと思います。

 何より恐ろしかったのは座禅でした。前にもどこかで書いた気がしますが、初めて座禅をする数日前、バラエティ番組で座禅のコントをみたんです。警策と呼ばれる棒を持ったお坊さんが突如として発狂し、あぐらをかいている人たちをボコボコにするという、世にも怖ろしい地獄絵図が展開されていました。当時の私は小学校低学年、バラエティをマジにとらえてしまうお年頃です。座禅の入口がこれだったんで、スポーツクラブの合宿で禅寺に連れていかれると知ってから、恐怖でしかありませんでした。実際の座禅でも確かにお坊さんは警策で肩を叩きましたが、ちゃんと小学生レベルに加減してくださっていました。

 これで済めばよかったんですが、なぜか地元の教育機関は何かにつけて学生を禅寺にぶち込もうとするんです。座禅をしたり山の中を歩かされたり、もちろん、勉強や運動もやらなければならない。早い話がだるいんです。脱走しようにもここは山奥、周囲は急勾配のボロい道しかございませんで、寺の敷地外にでるだけでも一苦労、最寄りのバス停は数時間に1本しかこない、ほぼ陸の孤島です。事実上の軟禁状態となった私は大人しく勉強に運動、たまに座禅を頑張って予定を終了させ、送迎バスに乗って帰るしかありませんでした。

 禅寺に軟禁されてげんなりしていたは当時の友人知人も同じだったようです。勉強合宿をしていたある日、友人のひとりがどこからともなくエロ漫画の束を拾ってきました。聞けば洗濯場の隅に捨ててあったそうです。

 「何だよ、ここの住職は俗世の欲を全然断ち切れてないじゃないか」なんて言い合いながら、男子一同が漫画に没頭しました。速攻で先生に見つかって回収されてしまいましたが、今こうやって思い返してみても不思議です。教育機関が合宿に使うような歴史ある禅寺に、どうしてこうも俗世にまみれた物体が放置されていたのか。

 先ほども書いた通り、この禅寺は近隣の教育機関がこぞって合宿に使います。当然、軟禁されていたのは私だけではない。毎日のように入れ代わり立ち代わり、近所の学生が軟禁されにやってくるんです。そんな学生のだれかがコッソリ持ってきて友達と楽しみ、次の軟禁者のために置いて行ったのではないでしょうか。紙が切れた公衆トイレに残された使いかけのティッシュペーパーと同じシステムです。

 もちろん、都市部の喧騒から離れた静かな環境のほうがはかどる作業もあるでしょう。人によっては山奥の禅寺が集中するのにベストな環境かもしれないですし、それこそ修行にはもってこいの場所だとは思います。しかし、私が経験した限りでは、山奥だろうと禅寺だろうと怠ける人は怠けますし、サボろうと思えばいくらでもサボれるものです。作業効率が上がるとは限らない。

 どこでも頑張れるし、どこでも怠けられる。それを学べただけでも良かったのかもしれません。とりあえず、合宿をしなくなって私はとても平穏に暮らせています。

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