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題名読書感想文:18 サルとヒトの微妙な関係がにじみ出る

 中を全く見ず題名だけで感想を書くのが「題名読書感想文」と自分では思っているんです。でも、題名で漫談しているだけのような気もしています。迷いながら今日も書いて参ります。

 今回のテーマは「サル」です。

 この地球上には多様な生き物が棲んでおりますけれども、その中でもサルは人間に近い生物の代表格として広く認識されています。だからなのでしょう。「人間に似てるな」と思いつつ「人間と違うじゃん」とも考えるなど、他の動物と比べて人類の複雑な感情が見え隠れします。

 それは生き物の分類にも出ておりまして、例えば「自然人類学入門」(技報堂出版)に「ヒトをどのレベルで近縁種のチンパンジーやゴリラと分けるかで意見が分かれる」という記述があります。ザックリとした表現にするならば、すべての生き物を分類する一覧表を作った時、ヒトをサルに近くするか遠くにするか、専門家の間で未だに議論が続いているということだと思われます。これもまた「人間に似てる」と「人間と違う」の合間で揺れ動く人類の複雑な感情の一面が現れているように見えます。

 人間とサルはそんな微妙な関係性のためか、両者を比較するような本はかなり出版されておりまして、題名にサルが進出している本も結構ございます。その中から一部をご紹介して参ります。

 まずは「幸島のサル」です。

 幸島は宮崎県にある島でございまして、野生のニホンザルが生息している島として知られています。京都大学の研究所があり、日々サルの研究しているとのこと。

 一方で「東京のサル」という本もあります。

 宮崎の離島に比べて随分とシティ派な感じにも見えますが、東京の郊外に生息するサルについて書かれた本のようです。東京も郊外になりますと村もあるし山もある。そうなればサルもいるわけでございまして、動物園のサルを扱っているわけでもなければ、たまに都心まで突き進んで警察に追い回されるサルでもないようです。

 「歌うサル」なんて本もあります。

 「サルだってこんなことできるんすよ」と題名で主張する本が結構ございまして、こちらもまたその一群に入っております。どんな歌なのか、そもそも歌とは何なのか。短いながらも興味を引く題名です。これも「サル」という存在によるのかもしれません。

 ここからはそういう「こんなことできるんすよ」本が続きます。続いては「温泉ザル」です。

 サルに温泉なんて毎年ニュースに取り上げられるくらい風物詩になっていますけれども、確かに改めて題名で主張されますと、温泉に入る生き物のほうが少ないです。温泉でまったりできるのは実は珍しい特徴なのかもしれません。

 それから「約束するサル」です。

 「こんなことできるんすよ」本は当然ながら「こんなこと」が肝となります。この本が持ってきたのは「約束」です。確かに、私は犬やカラスやショウジョウバエと約束した記憶がありません。まあ、サルともした記憶はありませんけれども、何気に意外な「こんなこと」を扱った本ではあります。

 「たちまわるサル」なんて本もございます。

 サルはたちまわるところまで来ていたんです。ちなみに、アマゾンの紹介文によりますとチベットモンキーを扱った本でございまして、他のサルには見られない特徴があるようなんです。それを「たちまわる」の一言で表した。そう考えると「たちまわる」も生き物として珍しい特徴なのかもしれません。

 「テングザル」という本もあるんです。

 副題でも「河と生きるサル」という感じでサルに言及していますが、とにかく「テングザル」です。サルの一種であり、鼻の形からその名がつけられているんですけれども、この流れですと「天狗になってるサル」にも見えてしまいます。

 ちなみに、ウィキペディアを見たらテングザルは「生息地では食用とされたり、消化器官内で見つかる結石が薬用になると信じられている」などと、ものすごいことが書かれていました。カルチャーショックも体験できる。それがテングザルです。

 もちろん「こんなことできるんすよ」本以外にも題名にサルがいる本はございます。例えば、「サルなりに思い出す事など」です。

 アマゾンの紹介文によりますと、著者は子供の頃から霊長類に憧れ、「大きくなったらマウンテンゴリラになる」と決心、科学者としてアフリカはタンザニアのセレンゲティ国立公園へ調査にでかけるという、研究者の鑑みたいな方です。だから上記のような、サル目線の題名になったのでしょう。

 ところで、サルは何かと比較されます。ヒトとの比較は言うまでもありませんけれども、いろんな生き物とも比較されるようで、それが題名になっている本もあります。例えば「現実を生きるサル 空想を語るヒト」です。

 こちらはサルが最も比較される生き物のひとつ、ヒトとの比較を題名にした形です。サルの比較としては王道と言えます。

 特殊な例としてはシカと比較するかのような題名「与えるサルと食べるシカ」がございます。

 アマゾンによりますと、同じ場所に生息する生き物同士の関係性について触れた本のようです。副題にもある通り、学問のジャンルとしては生態学に入ります。サルとシカの関係性を端的に出した題名ということですね。

 こんな題名の本もあります。「消えた伝説のサル ベンツ」です。

 「消えた」「伝説」「ベンツ」、そして「サル」と、短い中に目を引く単語がてんこ盛りです。

 ベンツはどうやらボスザルの名前のようで、「高崎山のベンツ」という本もあります。

 これだと高崎山在住の方がお持ちのベンツか、もしくはやんちゃなオーナーが高崎山までベンツで遠征したかのようにも読めます。そんな誤解を防ぐため、副題で「ボスザル」を入れているのだと考えられます。

 ところで、サルはヒトと似ている生き物と見なされているためか、ヒトをサルに例えた題名もそれなりにございます。例えば、「ヒト 家を作るサル」です。

 そう言われてみれば、サルは家を作らないようにも思います。ただ、サルが家を作ったとしても、それは巣と呼ばれそうな気もします。そうなると、家と巣の違いについても気になってくる。これまでもそうでしたが、サルが題名に入ってくるとあれこれ考えさせられるものになる傾向があります。

 他にも「グルメなサル香水をつけるサル: ヒトの進化戦略」という本があります。

 こちらもヒトをサルに例えた題名を敢えてつけることで、人間の人間たる特徴がどうして備わったのかや、そもそも人間らしさとは何かを考えさせられるような題名となっています。

 ところで、サルはヒトっぽい外見でありながら、ヒトが簡単にできるようなことができないため、馬鹿にする対象として扱われる場合もございます。「このままじゃ人類はサルになってしまうぞ」みたいな使い方ですね。

 その中において、「サルになれなかった僕たち」という題名はサルの使われ方がちょっと違うんです。サルを下に見ている感じがしない。

 題名や副題から考えても、サルはいい意味で用いられているようではなさそうです。ただ、「サルになれなかった」という表現は珍しく、それゆえに目を引きます。

 サルはヒトができることをできなかったりしますが、それは逆も言えるわけで、ヒトはサルができることをできなかったりします。両者は違う生き物なのですから、当たり前と言えば当たり前です。当然「サルになれなかった」という時だってあるに違いない。

 サルは人間と近いゆえに、本の題名でもいろんな登場の仕方をしています。そして、そこにはサルと人間との微妙な関係性が見え隠れしている。その微妙な関係性はきっとこれからも続くのだと思います。少しは正解に近いと申しますか、いい関係が見つかればいいなあとの感想を抱いて今回は終わりといたします。

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