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言葉遣いから見るTHE SECOND 2023 グランプリファイナルの感想

 2023年5月20日にTHE SECONDのグランプリファイナル、すなわち上位8組によるトーナメントが放送されましたので、その感想を書いて参ります。このnoteでは「いいネタはいい文章と書く参考になるんじゃないか」という偏見を根拠に、ネタの一部を文章に書き起こして引用し、そこからあれこれ考えて感想を書くという形式を何度かやっております。

 そして、個人的な勉強になればと思っていたのですが、せっかくだからとこうやって載せている次第でございます。では、早速参ります。

 今回はベスト8、ベスト4、決勝の順に紹介してゆきます。ネタを引用する際には読みやすさを重視するため、セリフの細部を変更したり、注釈を加えてたりしている箇所がございます。また、敬称略になっている部分もございますので、ご了承くださればと存じます。

1.金属バット  ――独自表現で「触れてはいけない」性質を活用する

 金属バットが披露したのは、ことわざを知らない相方にことわざを教えるネタでした。

 ことわざを教えるということは、すなわち意味を説明するということになります。それをいかに説明するかが、このネタの大切なポイントのひとつとなります。ちなみに、金属バットによる説明の例をいくつか抜粋すると、こんな感じです。

「灯台下暗し」 → 「近場なもんほど気づきにくい」
「豚に真珠」「猫に小判」 → 「価値あるもんでも価値分かってないやつに渡したら意味ないよ」
「馬子にも衣裳」 → 「どんなボンクラでも格好だけちゃんとしたら見れるようになる」

 ラフに説明しているように見えて、ことわざの正確な意味を伝えるためのポイントは押さえており、更に自らのキャラクターに合った表現へ調整されていることが分かります。「ラフなようでキチンとポイントを押さえてある」。そこを土台にして、ネタが展開されてゆきます。

小林「他のやつも教えて」
友保「『火のない所に煙は立たぬ』みたいなのあんねんけど」
小林「俺、それ意味知ってるわ」
友保「嘘やん」
小林「知ってる知ってる」
友保「え、言うてみて」
小林「あれやろ、TKOさんやろ」
友保「やめろやお前おい」
小林「あん時よう噂聞いてた」
友保「噂すごかったけど。ペットボトルの形の煙、立ってたけど。やめなはれ、あんた。ちょっと教えたないな、ほんまに」
小林「教えてよ」
友保「嫌や。お前、しもの句怖いねん」

 現在ではTKOのふたりに何があったのか広く知られているため、起こったことを詳細に説明する必要がありません。「TKO」という言葉自体に様々な意味がギュッと詰まっている状況です。その様々な意味の中に、「あんまり触れてはいけない」という世間の、少なくともお笑い好きの共通認識があるわけですが、それが「詳細に説明する必要がない」との相性がよくなっています。つまり、考えようによっては「TKO」という言葉は説明を省略しながらも、ブラックな笑いでウケが取れるという、効率のいい単語になっていると言えます。

 また、もうひとつの注目点として金属バット特有の言語センスがございます。上記の引用部では「ペットボトルの形の煙」や「下の句」がそれにあたります。これらの言葉は何の説明もなく使うには、用法が若干おかしいわけです。「ペットボトルの形の煙」なんてまず発生しませんし、そもそもそんな言葉は存在しません。「下の句」の使い方は、正確に言えば間違っています。でも、意味は通じますし、聞いてて違和感はほとんどない。逆に、その小さな違和感が笑いに繋がっている。この辺りの単語を見つけ出し、何の説明もなく使えるところが金属バットの言語センスだと思われます。

 続いてもう1箇所、引用します。

小林「他のやつ教えて」
友保「『鬼に金棒』みたいなんがあんねんけど」
小林「『鬼に金棒』? どういう意味?」
友保「鬼みたいにただでさえ強いのに、これ持ったらもっと強なっちゃうよみたいなこっちゃね」
小林「ああ、じゃああれか。パチンコ屋の中にATMあるみたいなことか」
友保「それは『飛んで火にいる夏の虫』や、お前」
小林「『飛んで火にいる夏の虫』? 『飛んで火にいる夏の虫』ってどういう意味?」
友保「危ないって分かっているけどついつい飛び込んじゃうみたいなこっちゃね」
小林「ああー……、ワクチンね」
友保「思想つよ。お前、おい。あんた、そっちなんかいな」
小林「なんか噂で聞いてたから」
友保「いろんな噂あるけどね。みんな違ってて全然かまへんけど、あんたちょっとやめとけや。堪忍して」
小林「他のやつ教えて」
友保「『嘘も方便』ってのがあんねんけど」
小林「あれ、そっちがワクチン?」
友保「やめてくれ、お前」

 これまでに紹介した「ラフだがポイントを押さえた説明」「あんまり触れてはいけないものをうまく使う」「独特な単語の使い方で笑いを誘う」が全て揃っている部分です。言うべきポイントを押さえた「鬼に金棒」の説明は当然として、ワクチン云々という触れづらいものをやんわり触ることで笑いに繋げています。「思想が強い」という言葉は本来の意味からちょっとズレていますが、そのズレがむしろ面白くなっています。

 無駄な説明を省きつつ、笑いどころを増やし、表現の配慮もしているなど、ラフな会話をしているようで土台はちゃんとしているのが金属バットの漫才ではないかと思われます。

2.スピードワゴン  ――場面変化のために丁寧に重ねられた言葉

 スピードワゴンは小沢さんが相方を放っておいてひとりで恋愛コントを展開していくネタを披露しました。後半で展開が変化していくところがネタの肝となるんですが、その場面をうまく活かすための下ごしらえは冒頭から始まっています。

井戸田「どうもスピードワゴンです。よろしくお願いいたします。ねえ、小沢さん頑張っていきましょうか」
小沢「潤はさあ、四季折々の恋してる?」
井戸田「お前、今日もゲボだな。お前はゲボだ。ゲボ決定だ、お前は」
小沢「やっぱりね、春には春の恋、夏には夏の恋、季節に合った恋愛をしてこそ一人前の男だということについに小沢、目覚めました」
井戸田「いちいち目覚めるな。ずっと寝てろ、お前は」
小沢「じゃあね、今日はね、一年を通した理想の恋愛っていうのを俺がここでやるから、潤は俺に任せてもう行け」
井戸田「どこにだよ。せめていさせてほしいのよ」
小沢「じゃあ見てて」
井戸田「『じゃあ見てて』!?」
小沢「よく見てて!」
井戸田「よく見る! ……前代未聞」

 小沢さんは一言目から、自身のキャラクターやネタの中での立ち位置を観客へ暗に表明してゆきます。小沢さん独自の、いわゆるちょっと変わったナルシストキャラを早くも存分に出しているんです。しゃべり方はもちろんですが、特に「四季折々」という普段あまり使わない単語を「恋」に繋げたところが効いています。ただ「恋してる?」だと小沢さんの変さが半減してしまうところからも分かるかと存じます。また、「四季折々」は後々の場面に繋がる単語でもありますし、ツカミの笑いとしての役割も果たしていると思われます。

 また、小沢さんがあまり井戸田さんの話を聞かないというやり取りが、これまた暗に示されています。ただ、単に話を聞かないとかコミュニケーションを完全に遮断するとかではなく、「もう行け」と言いながら、「せめていさせてほしい」食らいつかれたら「じゃあ見てて」と妥協する。この距離感が絶妙です。当然ながら、この絶妙な距離感が後半における場面変化で効いてくるわけです。

 小沢さんがひとりでネタを展開し、井戸田さんはそこになかなか入れない。スピードワゴンはこの状況を何度も丁寧に観客へ見せてゆきます。

小沢「『そんなことより小沢さん、私、井戸田さんの大ファンなんですよ。一度でいいからこのバーに呼んでくれませんか』」
井戸田「マスター、俺のファンなの。でもその世界、行けないのよ。小沢さんが勝手に作った世界だからさあ」

 小沢さんがコント内の全登場人物を担当し、井戸田さんはコントの外側からツッコミを入れるだけの状況が続きます。ただし、コント内で小沢さんは井戸田さんの名前を出し、井戸田さんは諦めずに小沢さんが作ったコントの世界へ入ろうとする。この微妙な関係が今回のネタの醍醐味であり、後半への伏線のようなものになってくるわけです。

 その後、井戸田さんは何度か「大至急」と言って小沢さんを呼びよせ、コントを強制的に終了させます。該当箇所をふたつ引用します。

小沢「俺は怒ってくれる人が好きなの」
井戸田「だとしても急すぎない?」
小沢「彼女の名前はみゆきちゃん」
井戸田「ちょっと聞いてる?」
小沢「女優を目指してる女の子。春、出会った二人は夏、燃え上がる。そうなると舞台は当然、海だよね」
井戸田「ああもう俺とは喋らない」

井戸田「もはや俺は副音声だわ。お前のやってるドラマ、俺の副音声で盛り上がってる?」
小沢「夏が終わるころ、みゆきちゃんは女優としての仕事で大忙し。でもそれはすれ違いの始まり。少しでもすれ違いをなくすために二人は同棲を始めたんです。それでも二人は……」
井戸田「決めた。俺この恋よく見る」

 すぐに自分だけの世界へ戻ろうとする小沢さんのキャラクターをより一層確立させると共に、無駄のない素早い進行にもなっており、更に笑いどころも複数作っているなど、これら短いやり取りの中にはいくつかの役割を持たせていることが分かります。当然ながら、なるべく自然なやり取りに見せることは大前提です。

 こうやって丁寧にやり取りを積み重ねたものが、次の場面で活きてくるわけですね。

小沢「いつもテレビで見てますよ 売れっ子女優さん……」
井戸田「小沢―! もっと自分の気持ち大切にしろよ! 彼女、何か言いたげだぞ、聞いてやれよー!」
小沢「潤、どうしてここに?」

 散々無視しておきながら、いざという時に応える。この場面を笑いに繋げるための仕組みが、冒頭からセリフの端々に仕掛けられていたのだと考えられます。

3.テンダラー  ――最短距離の話題移行で超効率的な場面接続

 テンダラーは本屋やスカウト、野球などいくつかの短めなネタを繋げて1本のネタにしています。短編をいくつも重ねてひとつの長編にするようなもので、長めの漫才にはよく見られる形式です。ただ、テンダラーの場合は、そのネタとネタの接続部が非常に短く、その割には自然に聞こえる。そうするための技術が確認できます。

 それは漫才の冒頭からもう始まっています。

浜本「もう30年近く漫才やってますと若い子に言われるんですよ。『もうおっさんやん、古いねん』みたいなね。まあ、古いかも分かりません。せめてね、漫才だけでも若々しく頑張っていかなあかんなあ言うてますけど、まあしかしなんでんな」
白川「古いねん」
〈中略〉
浜本「まあ、実際にええ年でね。私、浜本49。白川さん若そうに見えるでしょ、もう今年52、来年53、次54、ほんで55?」
白川「当たり前やん」
浜本「独身」
白川「独身で。お恥ずかしい」
浜本「いい人いないんですか?」
白川「やっぱ運命的な出会いをね」
浜本「『運命的』。何それ。例えば本屋さんで、たまたま同じ本を取ろうとしたら(手が触れて)『あっ!』みたいな?」

 年齢の話と本屋で手が触れる話は関連性が薄いはずなんです。しかし、テンダラーは短い時間でうまいこと話の流れを本屋のネタまで持って行っています。「いい年」→「独身」→「運命的な出会い」→「本屋」と、もうこれしかないと思えるほど最短距離で話が移行しています。

 ネタとネタの繋ぎでは、このような最短距離の話題移行が続いてゆきます。以下、ネタ間の繋ぎ部分を引用して参ります。

本屋のネタ~スカウトのネタ間
白川「爽やかな出会いしたいねん、俺は」
浜本「まあ、実際ね、昔、白川君ったら『この世界に入ったらモテるから』って誘われて吉本のオーディション受けたんですよね」
白川「実際はオーディションやけども、『スカウトされて』って言いたない?」
浜本「『スカウト』。まあ実際、選ばれたみたいで気持ちはいいですけどね」
白川「でしょ。ちょっとスカウトされてみたいがな」
浜本「白川君が? スカウトされてみたい? ええー、うーん……、やりましょう」

スカウトのネタ~侍ジャパンのネタ間
浜本「ジャニーズにスカウトは無理だとしても、野球のスカウトはあったかも分からん」
白川「ずっとやってましたから」
浜本「(白川は)昔、真剣にやってまして、いいとこいったんですよ」
白川「大したことないよ」
浜本「いやあ、もしかしたら『侍ジャパン4番白川』なんてことがあったかもね」
白川「さすがにそれは」
浜本「いや、分かりませんよ。じゃあ、舞台上だけでもそんな気持ち、ちょっと味わわせてあげましょう」
白川「味わわせてくれるの」

侍ジャパンのネタ~ビールかけのネタ間
浜本「ベタに我々は関西で、阪神ファンで。今年こそ優勝してね、選手がビールかけなんかしてるの見てみたいよね。ビールかけって見てるこっちもテンションあがりますよね」

ビールかけのネタ~酔っぱらいのネタ間
浜本「でもやっぱりビールは『かける』より『飲む』でしょう」
白川「そりゃそうでしょ」
浜本「もう年と共に酒も弱くなってきましてね。白川君は強いから酔いつぶれて迷惑かけることもないと思うんですけどね」
白川「最近、弱なって」
浜本「弱なった」
白川「この間も戻して大変やってんやから」
浜本「飲みに行くと後輩がおるでしょ」
白川「(飲みに行くのは)ほとんど後輩で」
浜本「後輩に関しては先輩が酔いつぶれる酔っぱらいの介護、結構面倒くさいんですよね」

酔っぱらいのネタ~駅伝のネタ間
浜本「でもほんまお酒飲み過ぎて最近(白川が)太りだしてきまして」
白川「だからね、ジョギングしてね」
浜本「ジョギング始めたら好きになるでしょ、駅伝」
白川「見てまうねんね」
浜本「あのタスキにはいろんな仲間の想いがこもってますから。『時間内に仲間にタスキをつなぐぞ!』。あれ感動しますよね」

 スカウト、侍ジャパン、酔いつぶれる、駅伝。文章にしてじっくり見ていくと、次のネタに関連した単語が突然出てきているように見えなくもない。しかし、ネタを楽しんでいる分には特に違和感のない方が大半だと思うんです。そこがテンダラーの技術だと考えられます。

 繋ぎの部分は、更にいくつかのパートに分けられると思います。まず「前のネタを受けて話題変更のために仕込みを入れるパート」、続いて「次のネタに向けて話題をガラッと変えるパート」、そして「変えた話題を少しだけ広げるパート」、最後に「次のネタへ入るために話を調整するパート」です。

 もちろん、全ての繋ぎがこの4パートを持っているわけではなく、同じ野球ネタを繋ぐ「侍ジャパンのネタ~ビールかけのネタ間」の場合は、ちょっと話題を変化させただけで次のネタへ入っています。一方。「スカウトのネタ~侍ジャパンのネタ間」は繋ぐにしてもあまりに距離があったためか、スカウトのネタ内でも野球のスカウトの話を仕込み、それを繋ぎの部分でも触れてから侍ジャパンのネタへ移行していくというテクニカルなことをしています。

4.超新塾  ――5人を統率するシステムをキッチリ遂行する

 超新塾は飲み会で社長を盛り上げるネタと映画の予告をやってみるネタを披露していました。

 ご存じの通り超新塾は5人組とかなりの大所帯であるため、ネタの方式も独特です。ひとりのツッコミと4人のボケで構成されており、4人まとめてひとつのボケとして扱う場合が多い。つまり、1対4の構図がほとんどなわけです。

 また、誰が何をどのタイミングで言うかなど、セリフがカッチリ決まっているのも大きな特徴です。冒頭の挨拶から、その特徴が見られます。

溝神:どうも超新塾です、そこんとこ。
全員:よろしく!

 この挨拶は例外なく、一字一句違わず行われると言っていい状況です。メンバー単独のセリフもございますが、全員が揃って同じことを言う行為が超新塾は非常に多いという特徴があります。冒頭のやり取りでも確認できます。

溝神「彼、身長が?」
福田「私、身長が160センチなんです」
溝神「そして隣の彼、身長が?」
アイク「180センチ」
溝神「180センチあるんですね。身長差が20センチあるんですけど、そんな二人が一緒に座ったら……いきますよ。はいっ」
全員「座高は一緒」

 文字に起こすと、溝神さんがしっかりタイミングを取ることで、全員が揃ってセリフを言えていると分かります。この「全員が揃って同じことを言う」は、ネタの要所要所に存在しています。例えば、本ネタに入る部分です。

溝神「それではサンキューさん、いつものやつお願いします」
安富「ウェェェェェェェェ!」
福田「マイナスからのスタートです」
溝神〈大きく息を吸う〉
全員「どうした!」
福田「サンキュー(安富)は嘆いている。サンキューは飲み会で社長を盛り上げたいと嘆いているぜ」
溝神「お前らが社長を盛り上げられるわけねえじゃねえかよ」
福田「じゃあ、俺が社長を盛り上げてやるぜ」
全員「何っ!」

 「どうした!」と言う直前では、溝神さんが息を吸うことでタイミングを合わせているようです。

 どんなネタでも導入部は基本的にこの形式を用いています。また、ネタとネタの繋ぎ部分も同様で、基本的には次のような形式を用いています。

福田「俺たちは社長を盛り上げることもできないのか」
溝神「お前ら何かできたことあんのかよ」
安富「俺はそれよりも映画の予告をやりたいぜ」
溝神「ちょっと映画みたいになってたな、今」
藤原「じゃあ、俺たち映画の予告をやってやるぜ」
全員「何っ!」

 このように、全員で同じセリフを言ったり、同じ形式を用いてネタを披露したりするのは、恐らく人数が多いという点が大きいと思われます。ふたりなら掛け合いもできるでしょうが、5人で掛け合いをしようとすると、やってるほうも見てるほうも訳が分からなくなってしまう。そのため、セリフをちゃんと決めてアドリブをなるべく排除するネタになっているのだと考えられます。それは本ネタに関しても同様の傾向が見られます。

5.三四郎  ――お笑い好きに特化した言葉選び

 三四郎は1本目に占い師のネタ、2本目に弟子入りのネタを披露しました。

 三四郎と言えば、小宮さんの独特な言葉遣いによるツッコミが特徴です。例えば、今回のネタですと「とても悲しきツカミ」ですとか「生き散らかしてやるよ」ですとか「類まれなる稀有なコンビ」のように、敢えて古風な単語や難しい言葉などを用いて、他の人がなかなか使わないようなワードでツッコんでいます。こうやって書くと単純にも見えますが、どの単語をどのように使うかが難しいわけで、できるかできないかはいわゆる「センス」というものによるのだと思われます。

 ただ、今回のネタに関して言えば、三四郎のネタはもうひとつハッキリとした特徴がございます。それは、ネタの内容がお笑い好きに特化しているという点です。

 例えば、1本目のネタですと、こんなやりとりがありました。

相田「占い師って好きなんだよね。占い師に憧れてんのよ〈と言って、勝手にマイクから離れてコントインしようとする〉」
小宮「占い師やりたいのね。ああなるほどね。じゃあ占い師やって、(自分は)お客さんやるからね。新宿のね、母とかいるから……いや、聞き切れよ。聞き切ってからそっち行けよ。しゃべってるだろうが」
相田「お待たせしました。占い師です」
小宮「デリバリー? (そっちから)おもむくなよ。(普通はこっちから)行くんだから」
相田「私、新宿のカウボーイと呼ばれています」
小宮「新宿カウボーイじゃねえかよ。浅草のハゲ狂った漫才師だよ。おかしいだろ」
相田「すいません、すいません。間違えました。風雲児と呼ばれてるんですよ」
小宮「ああ、占い界の風雲児ですか」
相田「いや、モノマネ界の風雲児です」
小宮「HEY!たくちゃんだよ、お前。(『モノマネ界の風雲児』は)エンタの神様の時の文言。ラーメンの大会でゴタゴタなったHEY!たくちゃん」

 出てくるお笑い芸人が明らかに一般向けじゃないのがお分かりいただけるかと存じます。もちろん、ここで登場した2組は端的な、かつ偏った解説を入れていますし、もっとメジャーな芸人もネタ中に散りばめられています。しかし、そうかと思えばダウ90000が出てきた時には「令和すぎる」というツッコミに加えて、「(審査員は)せめて蓮見だけだろ」と言うに留めるなど、お笑い好きな人にしか通じなくても構わないかのような構成となっています。

 このようなネタにした理由は恐らく、審査員である観客がかなりのお笑い好きであると見込んだためでしょう。結果として準決勝まで勝ち上がったのですから、その判断は正解だったと言えます。

 極めつけが次の部分です。

相田「4位がね、キングオブコメディ」
小宮「キングオブコメディ!? ……キングオブコメディ!? キングオブコメディって、……キングオブコメディ? 『警察に捕まり終えている』の? 『かけてる』じゃなくて『警察に捕まり終えている』の?」

 一応、補足説明らしきものがあるとは言え、キングオブコメディがどういうコンビなのか事前に知っている人を笑わせようとしているのは明らかです。更に、昨年のM-1グランプリ決勝でのウエストランドのオマージュとも言うべき「警察に捕まり終えている」という言い回しもございます。つまり、観客は去年のM-1決勝を当然見ているだろうとの予測に基づいて作られているわけです。

 何だったら、三四郎とウエストランドの関係性も把握しているであろうことを前提にネタを披露している節もございます。以下、2本目のネタからの引用です。

相田「僕は人を傷つけない笑いが好きなんですよ」
小宮「ああ、じゃあ、ぺこぱみたいな感じ?」
相田「はい、ウエストランドとか――」
小宮「バチボコ傷つけるわ、おい。全方位にバチボコだわ」
相田「〈小宮を真似して〉『全方位にバチボコだわ』」
小宮「真似るな、おい。(俺は動きに)工藤静香さ出してねえわ」
相田「ああそうか。小宮さん、ウエストランド大嫌いですもんね」
小宮「大好きだわ。死ぬほど好きだわ。M-1優勝した時、視界歪むくらい泣いたわ」

 お笑い好きに特化した戦略を中心に書いて参りましたが、もちろん基本的な技術はちゃんと備わっていることが大前提となっておりまして、例えば「バチボコ傷つける」という言葉を一度しか使わず、以降は「傷つける」を略して「バチボコ」だけでも観客に正確な意味が通じるような言い方をしています。また、「工藤静香らしさ」ではなく敢えて「工藤静香さ」と言ったり、無駄な表現を省きつつ笑いを誘う言葉にするなど、漫才の技術に長けているのがこの部分だけでもよく分かります。

6.囲碁将棋  ――優れたタイトルの数々さえも次のネタのフリにする

 囲碁将棋は1本目にモノマネをするタイトルが生意気というネタ、2本目には副業をやりたがるも生意気だったり全然努力する気がなかったりするネタを披露していました。

 囲碁将棋の漫才で目立ったのは、タイトルの強さです。キャッチコピーの強さとも言えましょうか。例えば、1本目はモノマネ素人がやるには明らかにタイトルが玄人のやつ過ぎて「生意気だ」とツッコまれるわけなんですが、どのタイトルもお笑い的にとてもちゃんとしています。試しに列挙してみます。

「街で買い物する様子がとても『毎日がスペシャル』とは思えない竹内まりや」
「徳永英明が思春期に少年から大人に変わる瞬間をとらえた貴重なVTR」
「ドとソの音が出ないマツコ・デラックス・クラリネット 本日はオーケストラバージョンで」
「7人の話を同時に聴き、同時に涙するしょう徳光和夫とくみつかずお太子たいし
「24時間マラソンを走るピッコロ大魔王をスタジオから応援する孫悟空、孫悟飯、孫正義」
「トリプルアクセル中にベジータとのボディチェンジを試みるも悟空に間に蛙を投げられ蛙と入れ替わってしまったギニュー結弦」
「ロボット松平健がマツケンサンバのリズムに乗って地元、愛知県豊橋市のあるあるを1.5倍速で まずはOKシーンから」
「ひとりWAHAHA本舗」
「歴史の飛鳥時代のところでやたらテンションが上がる飛鳥涼と、体育の授業でドッジボールの時にスタートから積極的に外野に出るチャゲ」
「アリアナ・グランデ」

 ひとりWAHAHA本舗やアリアナ・グランデといった例外はありますけれども、いわゆる架空の「細かすぎて伝わらないモノマネ」のタイトルとして違和感のないものになっています。

 この手のモノマネのタイトルは、具体性を高めて場面を限定させつつ、笑えるように加工するのが王道となっています。あとはモノマネする人物と関連性が強い言葉を入れるところですね。竹内まりやさんだったら「毎日がスペシャル」、徳永英明さんだったら「思春期に少年から大人に変わる」の部分です。あとは読みやすい文章にまとめあげるなど、日本語としておかしくないよう調整しているのだと思われます。

 囲碁将棋の凄いところは、その上で更に笑えるポイントを貪欲に組み込む点であり、例えば「孫悟空、孫悟飯、孫正義」の3段落ちだったり、ギニュー結弦のようなダジャレだったりがあげられます。聖徳光和夫太子のように口頭でも分かるレベルの合体人名を用いたり、「本日はオーケストラバージョンで」のように補足説明をオチしたり、ふたりそれぞれ別のモノマネを披露しようとしたりと、手数が非常に多いです。ひとりWAHAHA本舗やアリアナ・グランデで変化をつけて笑いを取ることも忘れてはいません。「ギニュー結弦」のように、観客に理解してもらえない危険性がありそうなものに関しては相方がちゃんと復唱するなど、細やかな配慮も見られます。

 その上で、2本目は1本目をフリにしたネタを展開するわけです。まず序盤では生意気な副業をやろうとしてくるわけです。以下、生意気な副業を抜粋します。

「その日の温度や湿度によってスープの味を若干変えるラーメン屋」
「1種類のフランスパンしか作ってないけど行列ができるパン屋」
「銀座の一等地で看板出してない寿司屋」

 そこから、ちょっと目線を変えた「生意気」を出して展開に変化をもたらします。それが次のものです。

「寿司屋燃えてんのに現金とか無視してまな板と包丁だけ持って出てくる板前」

 これだけお店じゃなくて、そこで働く人について言及してるんです。そこで話に変化をもたらし、そこからは「大学病院でやる売店」「学校指定の制服屋」といった、いわゆる「努力がいらない」副業を展開してゆきます。

 しかも、そんな「努力がいらない」副業も事前に伏線のようなものを張っておりまして、生意気な副業を展開している間に相方がツッコミという形で次のような店を言っているわけです。

「ライス無料駐車場激広ラーメン屋」
「(スポーツ)強豪校の隣で総菜パン屋」

 こういうお店を何気なく忍ばせていくことで、後半に「努力がいらない」副業を言う必然性をコッソリと用意している。そういう意味では、3本目も前のネタをフリにしたネタを展開する可能性が充分に考えられるわけで、今回3本目が最も見たかった組とも言えます。

7.マシンガンズ  ――ラフであることを強みにひたすら突き進む

 マシンガンズは前出のテンダラーと同じように、いくつかの短めなネタを繋いで1本のネタとする構成になっていました。3本目はアドリブが多めではありましたが、基本的な形は変わっていないように思います。

 マシンガンズはアドリブの度合いが非常に強い漫才が特徴であり、更にふたりとも大声できついことをワーワー言うタイプのツッコミという、何気に珍しいコンビです。ですから、ふたりのセリフがかぶる時も多く、セリフを噛んでもお構いなしに話を進めるため、文字起こしの難易度が高めでもあります。

 このような芸風だからでしょう。説明が金属バットより更にラフなんです。いくつか例を出してみます。まずは1本目のネタから。

西堀「あんま言えないけど正統派(漫才)の定義っていうのは、バイクの真似をしないってことなんだよね」

滝沢「『営業』とかって分かります、みんな?」
西堀「まあ、お祭りとか行ってさ、漫才やったりするんだよ、俺ら」

滝沢「木植えるみたいな仕事があったんだよ」
西堀「植樹祭」

滝沢「X JAPANって皆さん分かります?」
西堀「分かります? X JAPAN。簡単に言うと、こうなって〈アクション〉こうなって〈アクション〉こう〈アクション〉みたいなね。略しちゃったけど」

 2本目でもこんな説明がありました。

滝沢「みんな、ヤフー知恵袋って知ってる?」
西堀「知ってる? 簡単に言うとヤフーを通して馬鹿が質問して馬鹿が答えるっていうのがあるんだ」
滝沢「あるんだよ、馬鹿同士が会話やってんだよ」

 非常に手短で、かつザックリした説明です。説明できてないものもある。でも、何だか納得させられるんです。恐らくは最低限、押さえるべきところを押さえているからだと思われます。観客に一旦尋ねてから説明に入るなど、ラフではありつつも、配慮すべきところはキチンと配慮している。

 ラフな芸風にも当然ながら利点はございます。ラフですとネタが安定しないゆえに、むしろアドリブとの相性が非常によく、どこからどこまでがアドリブか分かりづらいネタが展開できます。ですから、2本目の冒頭のように、本番中にもかかわらずネタを柔軟に変更できるわけです。

滝沢「えー、不倫はしてないマシンガンズでございます」
西堀「したいんですけどね」
滝沢「ええ。よろしくお願いしますね」
西堀「しかし、何が好きって皆さんも本当にお笑い好きですよね。体力があるよね」
滝沢「まあねえ。金属バットに間違えられたマシンガンズでございますけれどね。最初のほうに出てましたけどね、我々ね。覚えてますか?」
西堀「僕、ダウンタウン目指してお笑い始めたんで正直ショックでした」

 番組内で起きたことをしこたま詰め込んだ形ですね。相槌を打っているから会話しているように聞こえますけれども、実は話があまり嚙み合っていません。二人して互いに違う話をしていますし、さっき話したことと全然違う話を平気でしてたりもする。でも、なんか笑えてしまう。どこまで意図的かは分かりませんけれども、それも含めてラフなネタを展開する効用と言えましょう。

 ラフな芸風の利点としてもうひとつあげられるのは、ちょっとしたミスをフォローしやすいため、大きな失敗に発展しづらい点がございます。

 2本目のこんなやりとりが典型例としてあげられます。

滝沢「『絶対、金属バットだった。見てないけど』」
二人「見ろや!」
滝沢「何で見てねえんだよ、馬鹿野郎」
西堀「あのねえ、言いたくないけど悪口のマナーだろ、見てから言うってのはね」
滝沢「そうなんだよな」
西堀「見てから言うっていうのはマナーなんだよ」
滝沢「エスパーかよ、エスパー。馬鹿野郎」
西堀「ねえ。……かぶせでスベるなよ」
滝沢「いいんだよ。ここまできたら上等だろ、俺らなんか」
西堀「俺が緊張してきたよ、馬鹿野郎」
滝沢「上等だろ、2回ネタやれんだから」
西堀「分かった、分かった。あんまりないだろ、漫才コンビであんまりもう喋んな喋んなって」
〈中略〉
滝沢「これ腹立つんだ。『死んでほしい芸人は誰ですか』とかいうのな」
西堀「どんなに嫌いでも死ぬことはないんだよ」
滝沢「これ答えが腹立つんだよ。『答え、マシンガンズ。ぶっちぎりでマシンガンズ。解答になってませんが、ひとこと言わせてください。マシンガンズ超面白くない。マジつまんない。寒い。スベりすぎ。死んでほしい。あースッキリした』」
二人「主旨変わってんじゃねえかよ!」
滝沢「何の話だよ、馬鹿野郎」
西堀「何をスッキリすることがあるんだよ」
滝沢「ほんとだよな、お前」
西堀「バッティングセンターか」
滝沢「ああー……お前も調子悪いな」

 カッチリ作り込まれたネタですと、スベったとしてもフォローらしいフォローができぬまま最後までやりきるしかなくなってしまいますが、アドリブ多めのラフなネタですとスベったことを素直に白状することで、むしろ笑いを取ることができます。特にマシンガンズは、きついことをワーワー言うタイプですから、ちょっとした失敗で素のようなものが出てくると、場の空気がフッと和んで笑いやすい。だからこそ、このようなやり取りをするようになったのかもしれません。

 マシンガンズのこのような特徴は、もうネタがないと言って挑んだ3本目でも活かされています。何しろ、ネタがないことをキレていけば、ネタの評価はともかく、急ごしらえの割には非常に多くの笑いを取ることができるんです。ラフゆえにアドリブ性が強く、だから勝ち上がってきた。それが今回のマシンガンズだと考えられます。

8.ギャロップ  ――ある意味、究極のハゲの肯定

 今回、大会を制覇したギャロップは、1本目はカツラの特殊なかぶり方について、2本目は電車での立ち位置について、3本目では高級フレンチについてのネタを披露しました。

 ギャロップと言えば、長らく林さんの頭部をネタにし続けてきた漫才師ですけれども、近年では人の身体をいじることにはかなり敏感になって参りました。お笑いの中でハゲは比較的、寛容なジャンルではありますけれども、扱いが徐々に難しくなっているのは間違いないと思われます。

 その点、ギャロップは長らくネタにし続けてきただけあって、非常に扱い慣れている感が言葉の端々から見出せます。まずは1本目の冒頭から引用します。

毛利「すいません、こんな頭のやつ出てまいりまして」
「僕のことはいいんですけどね。そんなことよりね、これ揃いも揃ってね、これみんな生えすぎちゃう?」
毛利「お前が抜けすぎや。皆さん普通や。あなたがおかしいんですよね」
「でも、いろいろ見てたらね、何人か僕の仲間も……」
毛利「あんまチーム作らんといてくれる? 急にチーム作られると嫌やからねえ。その話やねんけどな」
「どの話?」
毛利「頭の話やねんけど。俺な、もうそろそろカツラかぶってええと思うねん」
「えっ、今更?」
毛利「俺、いけると踏んでんねんな」
林「〈自らの頭を触って〉これ、もう見られてもうてるやん?」
毛利「まあまあ、もちろんな」
「で、明日からね、ボーボーのカツラかぶって「おはようございます」って言ってね、『あの林君、ハロウィンまだですよ』ってなるだけやからね。やっぱり誰もまともに相手してくれへんやん」

 ネタの導入部ですね。林さんのツカミのギャグはハゲを妙にポジティブに言うお得意のやつです。3本目には「お先ハゲさせてもろうてます」と、これまた妙にポジティブな挨拶をツカミにしていました。

 ギャロップとハゲとの距離感がまた微妙で、ハゲをポジティブにとらえる部分がある一方で、ハゲはハゲとしてちゃんと存在していることを認めて、一切触れないとか、腫れ物に触るような扱いをしない面も見られます。かといって、そういう方々に配慮していないわけではなく、キチンと表現にも気を遣っている。

 それが端的に出たのが「あんまチーム作らんといてくれる?」の部分だと思うんです。ちゃんと観客にも林さん寄りの方がいる点に触れつつも、「チームを作らないで」という違った視点でツッコミを入れて、観客に負荷を与えるような表現を避けています。カツラの話題に移っても、その調整力は継続され、「ハロウィンまだですよ」といった、そこまで直接的でないにしても存在自体は認めた言葉を用いて笑いを取っています。

 ネタではカツラの特殊な活用法に話が移ってゆくのですが、その辺りもまた特筆すべき点でございます。

「そもそも置いておく場所もないから、(カツラ)100個」
毛利「どういうことや、置いておくって何やねん」
「カツラを」
毛利「いやいやいや、使い終わったら別に捨てたらええやん」
「捨てたらあかんやん」
毛利「なんでえな」
「61で俺100個目に到達すんねやろ。ボーボーなんねやろ。捨ててたら俺、その(ボーボーの)状態で80、90、100ってなんねんで。100歳のボーボーの真っ黒のおじいさんなったらあかんやん」
毛利「なんでや」
「だから、62歳、63歳ってなった時は、99、98って減らしていかなあかん。〈放物線を描きながら〉これが人間らしさよ」
毛利「〈放物線を描きながら〉これが人間らしさ」
「そうそう。だから捨てたらあかんよ」
毛利「自然に見せるためか」

 カツラの番号と年齢がごっちゃになりやすそうな内容ではあるんですが、うまいこと単位をつけたりつけなかったりして、ごっちゃになるのを未然に防いでいます。

 また、途中まで徐々に毛の多いカツラをかぶっていき、以降は徐々に毛の少ないカツラをかぶってゆくことで「人間らしさ」や「自然」を重視することを忘れないところも、微妙な調整力の賜物のように見えます。

 調整力がよく出ている部分は他にもあります。

「途中で取れるリスクとか考えてる?」
毛利「どういうこと?」
「例えば、バーンとこけてバーンと取れてとか、カツラにはあるわけよ」
毛利「まあまあ、まあまあね」
「それがノーマルの普通のカツラやったら『ああ、カツラやったんです、すいません』『ああ、そやったんですね』みたいに済むよ。俺、嘘ついてんねん。『増えていってる』という嘘をついてん。で、100個目が取れるとも限らへんで。どうする、28番みたいな。28番はまだまだハゲてる。まだまだハゲてる頭が取れて、もっとハゲてる頭が出てきて、『林君はなんでそんな控えめなんかぶってたの』」
毛利「なんや、控えめなやつって」

 注目点はまず「なんでそんな控えめなんかぶってたの」の部分ですね。誰かに言われている部分で下手に強い言葉を使わないようにすることで、林さん自体がカツラで不当に酷い目に遭ってないことを暗に示し、安心して笑える状況を作っています。また、独自のやわらかな表現が笑いを誘う効果も当然ございます。

 ギャロップもまた、声色を変えることで他の誰かのセリフであることを示したり、カツラをかぶったまま転倒する説明を非常に簡略化したりと、無駄な説明を省いて分かりやすい表現を用いる行為は当たり前のようにやっています。あくまで、それが当たり前にできる方々が勝ち抜いてきている。そういうことだと思われます。

 続いてが最後の引用です。

「あと死んだときどうする?」
毛利「何の話、それ」
「志半ば、ほんまに志半ばやわ。すごい中途半端な時に死んで、うちの高齢の母親が遺品を整理して、100個のカツラ出てきてどんな気持ちになる?」
毛利「死んでんねやろ、お前もう。ほんならもうお母さんに棺桶入れてもうたらええやん、それは」
「もう他、何にも入らんで。ふわっふわの。何でそんなお前、高級なフルーツみたいになって俺、出て行かなあかんねん」
毛利「(そんな風に)思わへん言うてんねん。何でお前が高級なフルーツになんねん」
「なるやろ、ふわふわのもしゃもしゃでこんなんいかれたら」
毛利「死んだときの話はもうええやろ、それは」
「じゃあ逆に、うまくいったときどうする?」
毛利「何?」
「回りから聞かれるよ。同じ悩みの人に。『林君はどうやって生やしたの』『どんな薬を使ったの』『どこの病院に?』。どうすんねん」
毛利「『薬は使ってません』。これでええやろ」
「研究所連れていかれるよ」
毛利「なんでそんなことになんねん」
「45歳から自力で61までボーボー。研究所やん」
毛利「お前ごときサンプルになるか」

 実は文章としては足りない部分が多いんです。何が志半ばなのか、お母さんに何を棺桶に入れてもらうのか、どうして棺桶に何も入らないのか。対象となる単語を入れないといけないんですが、会話だと全く違和感なく内容を理解できる。

 極めつけは「45歳から自力で61までボーボー。研究所やん」の部分です。これだけ抜粋されると意味が分からない。でも、それまでの文脈や話し方などによって、このようないろんなものが不足している文章でも、観客は意味を理解でき、笑うことができるわけです。

 意味が伝わる最低限の単語は決して逃さないギャロップの言語感覚がよく出ている箇所だと考えられます。


 今回の感想は以上となります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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