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もちろん素人は専門家に遠く及ばないとは思っていたんです

 専門家は何しろ専門家と呼ばれるくらいですから、一般の人々には想像できないような知識がたくさん詰まっているんです。専門分野に限って言えば、一般人が太刀打ちできる部分はほとんどない。というか、多くの人は専門家に太刀打ちしようとは思っていなくて、知恵を借りようとしたり、その膨大な知識から学ぼうとしたりしていると思うんです。

 その昔、古代人の骨を発掘し、分析する専門家の講演を聞きに行ったことがあります。その専門家は洞窟に入ったり、洞窟だったところを掘ったり、洞窟じゃなかったところを掘ったりして、様々な骨を発掘してきた実績がございました。

 私は古代人の骨にそこまで興味があったわけではないんですが、調査場所が実家から近かったんです。そして、ちょうどいいことに、講演会までの間に帰省の予定もある。どうせなら予習でもしておこうと私、帰省の際に調査場所まで行って参りました。

 その場所はちょうど集落と山林との境目に位置していました。住宅地を抜け、未舗装の小道に沿って小高い丘を越えると、眼下に木が点々と生えた広場が見えてくる。小さなベンチもあちこちに置かれ、近隣住民の憩いの場となっていることをうかがわせます。

 丘を下りきり、広場に立ちますと、目の前に岩山が壁のようにそびえていてなかなかに壮観です。岩は日にさらされてかなりの年月が経っているのか草木が生えている。振り向けば先ほど越えてきた丘がありまして、岩山ほどではありませんが、こちらもそこそこ見上げる高さです。つまり、私が立っている広場はふたつの山に挟まれた窪地とも言えるわけです。

 私が岩壁に近寄りますと、その数メートル手前に黄色と黒の縞模様になっているロープが張られていました。そこから入るなというどなたかの意思表示です。そして、近くには古代人の骨が発見されたことを説明する、地元教育委員会による看板が立てられていました。恐らく、この岩山のどこかで発見され、現場の保存を目的にロープが張られているんでしょう。どの道、古代人に関して素人の私には、これ以上、この場所から得られる情報はございません。予習にしては物足りませんが、家へ帰ることにしました。

 それからしばらくして、例の専門家の講演に参加しました。専門家の説明を聞きながら、私は帰省時の記憶を思い起こしていました。気になるのは、その専門家があの岩肌のどの辺りを発掘したのかという点でございました。

 専門家が発掘した場所の地図を見て私は愕然としました。専門家が調査場所に選んだのは私が一生懸命見上げていた岩山ではなく、何気なく越えてきた小高い丘の斜面だったんです。専門家によると、その場所に人を含めた古代の生物の骨が出てきやすい場所であることは一目瞭然だったそうで、何なら調査時に同行していた別の研究者が岩山のほうを重機を使ってまで調査したのに何も出てこなかったことに触れて「そんなの私からしてみたら当たり前の話」と一刀両断していました。専門家がバッサリやったのは同行した研究者のつもりだったでしょうけれども、その振り回した刃は今まさに私の眉間に突き刺さっている状況でございます。

 いや、私は専門家でありませんから、古代人の骨がどこにあるかなんて分からないとは思っていましたけれども、まさか「この山のどこかに骨が見つかった場所があるのか」と眺めていた岩山と正反対の方角にある小高い丘から骨が見つかったのは想定外でした。だったら、あの黄色と黒のロープは何のために張られていたんですか。危ないから入るなというだけのことですか。そうですか。じゃあしょうがない。

 私と専門家との間には、もう気も遠くなるほどの距離ができているのだと思い知った一瞬でした。

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