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誤解を招きたい

 誤解を招きやすい表現というものがあります。間違って覚えやすい言葉とでも申しましょうか。そんな言葉は軽く検索しただけで大量に出てきます。「姑息」「破天荒」「確信犯」などなど、確かこんな意味だったよなあと思って調べるといつも間違ってる、そういう言葉ばかりです。私のような人間は他にもたくさんいるのか、間違って覚えやすい言葉のレギュラーメンバーは割と不動で、「姑息」はいつまでも「卑怯」みたいな意味だと誤解され、「破天荒」は「豪快」みたいな意味だと勘違いされ、「確信犯」は「悪いことだと知っていながら悪事に手を染める」みたいな意味だと間違われているようです。

 ややこしいことに、この状況が進むと間違った意味が正しい意味として定着してしまう場合があるようです。例えば、他力本願は今でこそ「誰かがやってくれないかと期待すること」みたいな意味で使われますが、本来は仏教の言葉で「阿弥陀如来の本願によって極楽往生を得ること」を意味しています。もっとザックリ説明するなら「仏さまに救ってもらうこと」みたいな意味のようです。

 もともとの意味か新しい意味、どっちかが圧倒的に強ければいいのですが、問題なのは両者がせめぎ合っている時ですね。あとから定着してきた意味は使っていいのかダメなのか判断に迷います。場合によっては「本来の意味で使おうよ派」と「新しい意味でもいいじゃない派」で論争というか、プチ喧嘩が起きたりします。

 話はこれに留まりません。世界は争いのある場所と、これから争いの起こる場所に分けられます。言葉だって同じです。意味を巡って論争が繰り広げられている言葉と、これから論争が起きる言葉に分かれる。そして、これから論争が起きる言葉にだって、すぐに起きそうな言葉と、しばらくは起きそうにない言葉がございます。

 個人的には「不動産流動化」なんて怪しいと思ってます。「流動化」とは雑に説明すると資産を損失なくお金に換えやすくすることを言います。しかし、この「不動産流動化」、私には新しい液状化現象にしか思えないんです。「不動産」と「流動化」の相性が奇跡的に悪いからでしょう。「不動産流動化」と聞くと土地がズルズルと泥になって流れ出る光景を思い描いてしまいます。

 「民族自決」も危ないと思っています。「民族自決」とは民族が自分たちでいろいろ決めるという意味で、主に政治方面で使われる言葉のようです。しかし、「自決」のせいで大勢の人が自ら命を絶つことなのかと誤解しそうになるんです。「自決」には自分で決めるという意味と自ら命を絶つという意味があるから起きる誤解ですね。

 そう言えば、その昔、道を歩いていたら「うおっ」と声をあげそうになったんです。道路脇に「骨」というでかい看板がバーンと現れたからです。近寄ってみると、「骨」より圧倒的に小さな文字で「〇〇接骨院」と書いてありました。

 確かに現代の日本で「骨」に関する施設の筆頭は「接骨院」かもしれません。でも、いろんな骨を売っている「骨屋」と誤解する余地はないでしょうか。いや、むしろ誤解する余地を作りたいまであります。

 そのためにはまず、「骨屋」という商売が成り立つ世の中である必要があります。つまり、世間に一定数、何らかの骨が必要な日常を送る必要がある。骨の需要が高い世界でなければならないわけですね。そのためには、その辺の有名人が骨の有効活用をメディアで紹介するなどして、人々を骨に目覚めさせ、あとはやり手営業マンとか敏腕コンサルタントとかが骨の商売をうまいこと成立させていかねばなりません。優秀な人員が多数必要となるでしょう。

 人為的に誤解させるってこんなに大変なんですか。私の全日本骨骨計画は早くも挫折の時を迎えています。

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