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メストレ・ヴィタリーノとブラジルの郷土人形

リオデジャネイロにはペ・ジ・ボイという民藝品と民藝アーティストの作品を専門に扱うアートギャラリーがあります。そこではブラジル全国から集められた手仕事を見ることができます。店に入ると、必ず最初に目を遣ってしまうのが、ペルナンブコ州カルアル市のアルト・ド・モウラの土人形です。ブラジルの代表的な郷土人形の一つで、まん丸目玉の愛嬌ある表情が特徴です。

この人形がブラジルの代表的な民藝になったのは、カルアル市郊外に住んでいた無名の陶工の土人形がきっかけでした。その陶工の名前はヴィタリーノ・ペレイラ・ドス・サントス(通称メストレ・ヴィタリーノ)。1909年ペルナンブコ州カルアル市郊外に生まれました。

メストレ・ヴィタリーノの生涯

幼少時から、陶工の母親に学んで、残った土で牛や馬などの動物を作り、子供用の玩具としてカルアル市の市場で売っていました。その後、自分が住む地域の日常の暮らしの一コマを粘土で作り出すようになりました。

転機が起こったのは1947年にリオで開催された「ペルナンブコの陶芸展」で、作品が展示されてからでした。それに続き、1949年にはサンパウロのサンパウロ美術館でのこけら落としとして「北東部の民藝展」が開催され、出品。都市部では、またしても、無名芸術家の「発見」に沸き上がり、芸術家、研究者、コレクターたちがこぞってヴィタリーノの作品を求めてカルアル市の市場に詰めかけたそうです。

1948年、ヴィタリーノは、家族と共にカルアル市のアルト・ド・モウラ地区に住まいを移します。この辺りは陶工の町で、ヴィタリーノは、自分の土人形の技術を他の職人に惜しみなく伝授し、弟子を持ち、メストレ(師匠)と呼ばれるようになります。

1963年、天然痘にかかり、死去。54歳の若さでした。

彼の死後、息子の一人、セヴェリーノが父の跡を継ぎ、孫、ひ孫世代へとその伝統は家族内で引き継がれています。さらには、弟子たちやその子孫に至るまでが、師の技を継承したことにより、ヴィタリーノの土人形は、ペルナンブコ州カルアル市のアルト・ド・モウラの郷土人形として定着することになりました。現在、同地区には約千人の陶工が住んでおり、ラテンアメリカ最大の土人形制作の地としてユネスコに認められています。

アルト・ド・モウラの郷土人形の特徴

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アルト・ド・モウラの郷土人形の特徴を挙げるとしたら、次のようなものになります。

題材:ペルナンブコ州の英雄・民衆の暮らし・出産・結婚・葬儀・祭りなど
顔の特徴:まん丸目玉
技術:1.倒れないように足に針金が挿入
   2.市販の絵具で着色
作家のサイン:ハンコ

これらが主な特徴ですが、実は、ヴィタリーノの作品の大半は、目が描かれていません。穴が空けてあるだけです。着色もいつもされていたのではなく、素焼きの作品も多くあります。現在の特徴の一つでもある丸い目を描いたのは、弟子のゼ・カボクロでしたが、ヴィタリーノも時には、自分の作品に取り入れました。

参考文献

FROTA, Lelia Coelho. Pequeno Dicionário da Arte do Povo Brasileiro. Rio de Janeiro. Aeropiano. 2005



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