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横山光輝『三国志』の魅力

※ネタバレありです。

先日の記事でさんざん司馬遼太郎を批判しましたが、私は歴史小説や歴史漫画は嫌いだったのではなく、むしろ耽溺するほど好きでした。私の世界史の知識は、もとはというと学研『まんが世界の歴史』シリーズから派生したようなものですし、前述した通り司馬遼太郎『項羽と劉邦』『竜馬がゆく』とか、海音寺潮五郎『天と地と』とか、吉川英治『宮本武蔵』とか、あとは絵本の『平家物語』とか、田辺聖子『新源氏物語』とかも熱心に読みました。フィクションをさんざん批判したのにも関わらず言いますが、確かに歴史的な人物や事件をイメージし、世界史を好きになるきっかけになるには漫画はちょうどいい。

といっても、他の歴史マニアの方には遠く及ばないかもしれません。私は大学ではフランス史を専攻したのですが、「ロベスピエールって下宿屋の二階に住んでてさあ」なんて同級生に話しかけると、「知ってる。『ベルバラ(ベルサイユのばら)』で読んだ」と返される始末です。歴史マニアにはかなわない。

ただ一つ、例外があります。
横山光輝『三国志』です。

全60巻ですが、500回は読みました。あんまり好きすぎて、ゲームの三国志などはかなりやりこみましたし、それでは飽き足らず「関羽」「夏侯惇」などと武将名を書いた紙きれを地図帳の上にのせてシミュレーションをしていた変人です。
大学で史学科を専攻して急速にフィクションへの興味が失せてしまってすっかり忘れてしまいましたが、それでも横山光輝『三国志』はいまだに愛着があります。

横山光輝『三国志』の4夜連続講義を書こうと思ったのですが、大昔すでにブログでやった企画なので、しません。ただ、のちの『蒼天航路』などあまたの三国志と比べた特徴について簡単に述べることとします。

横山光輝は1934年生まれですし、原作の吉川英治なんて1892年生まれですから、思いっきり皇国史観が入っています。すなわち「正義(正統)を助ける」ことと「勧善懲悪」の2つです。三国志なんていうから3人の英雄の話かと思いきや、善の劉備、悪の曹操でひたすら話が進みます。3人目の孫権はバランサー的要素が強いし、カラフルなエピソードにも欠けます。
史実ではおそらく賊長だったに違いない劉備は、ここでは今にも滅ぼうとしている漢の一族として皇帝を助け、紅巾の乱、そののちは皇帝を後ろ盾に悪の限りを尽くす曹操と戦う忠臣として描かれます。

若かりし劉備玄徳

劉備は戦に弱く、ある時には城を奪われ妻子を見失い、ある時には飢えをしのいで流浪するありさま。そんな劉備がなぜマキャベリストの曹操に食らいつけたかというと、劉備にも関羽、張飛、趙雲という忠義に満ちた部下(といっても義賊のようなものですが)がいて、皇族の劉備という正義を助けるからです。皇帝を助ける劉備とそれを助ける武将たちという、二重構造になっているのですね。

天才軍師・諸葛亮をも得た劉備ですが、それでも敗走に敗走を重ね、長江のほとりまで撤退します。しかし策略に策略を重ね、敵の裏の裏を突き、最後は神風まで起こした諸葛亮の活躍で100万曹操軍を破ります(赤壁の戦い)。劉備は諸葛亮が唱えた天下三分の計をもとに「蜀」を手に入れ、曹操の子孫の「魏」、孫権の「呉」による三国時代が到来します。

魏(緑)、呉(赤)、蜀(橙)

勢いに乗った劉備は漢中も手に入れるのですが、やがて落日がきます。部下で義弟であった関羽と張飛を裏切りのために次々に失い、復讐を誓って呉に宣戦布告するのですが、夷陵の戦いで大敗、傷心の劉備は死を迎えます。
前後して曹操も病死し、主だったキャラクターは退場しました。しかし「正義を助ける」物語は終わりません。今度は劉備の子・劉禅を補佐した諸葛亮が孤軍奮闘の活躍をするのです。諸葛亮率いる蜀は、軍事力も経済力も数倍である魏を何度も脅かし、長安まであと少しのところまで進軍します。しかし諸葛亮はここ五丈原にて亡くなります。

巨星堕つ!諸葛亮の死

ここまでで59巻で、あとは後日譚にすぎません。劉禅は酒食に溺れ、政治を宦官や巫女に司らせるありさま。精鋭部隊が前線で激戦をしているさなかに魏に降伏します。

簡単に特徴を説明するつもりが、熱が入ってしまいました。
私が、日本人が、あるいは中国人が『三国志』に惹かれるのは、「子供に三国志は読ませるな」という言葉があるような策略に次ぐ策略もさることながら、正義を助けながら、結局は心半ばにして死を迎えるところが、涙を誘うんでしょうね。南北朝の楠木正成とか、戦国時代の山中鹿之助などと重なるのかもしれません。
実は歴史モノに耽溺していたことがお判りだと思います。歴史はロマンともいいますし、実証主義で生きていきたいですが、ロマンは捨てがたいですな。

おしまい。


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