ざっくり薩長土肥の旅
ほんとうに皆様の歴史探訪記には頭が下がる思いです。独自の視点で、詳細で、丁寧で。私はなにをしても「ふんふん、なるほど」と分かった気になってしまうので、旅行も立ち食い蕎麦屋もびっくりのスピードで廻ってしまいます。
それでもいい、旅行記をまとめよ、といってくださる方のために、今回は「薩長土肥」の旅行記をアップします。いずれ詳細な記事にしたいと思いますが、今回は基礎編ということで。
肥前編(佐賀市)
今日(2020年9月30日)は(博多から)特急みどりで40分。佐賀市に行ってきたよ。佐賀が何もない田舎者と思っている人こそ歴史を知らない者、鍋島藩35万石の拠点であり、長崎街道の要衝であり、名著葉隠の発祥の地であり、薩長土肥と称された雄藩であり、大隈重信らを輩出した教育の土壌なんだよね。
向かったのは佐賀城址に最近できた本丸歴史館。うーん、江戸時代の本丸御殿をまるっと(注:等寸大ではないらしい)再現したところがなんとも贅沢、しかも資料館としてもとても勉強になる。
地元では大隈重信、副島種臣、江藤新平ら8人を佐賀の8賢人(7賢人とも)と呼んでいるのですが、どうやらおおやけに一番献られているのは幕末の鍋島藩主鍋島直正のようで、入口にどでかい銅像がある。
この人、アヘン戦争に衝撃を受け、反射炉を製造、日本初のアームストロング砲製造に成功させたんだね(注:異説あり)。江戸湾のお台場に設置された一方、雄藩にも輸出し、上野彰義隊の掃討にも使われたっていうから、戊辰戦争に複雑・多大な影響を与えている。
その他、天然痘の種痘を跡継ぎに注射させたり、理化学研究所を作ったりと、日本近代化に大きく寄与しています。佐賀の人の鍋島氏に対する敬意はなかなかなか。
一方江藤新平や佐賀の乱は一文字も出てきません。
長崎街道も歩いてきたよ。
長州編(萩市・下関市)
今日(2022年4月25日)は長州藩の都・萩まで行ってきたぜ。萩は日本の近代化を象徴しているとして世界遺産にも登録されている。反射炉の実用化にも蒸気船の建設にも成功しなかった長州藩が登録されているのは、ハードではなくて、後の製鉄、鉄道建設、貨幣などの父となった伊藤博文・井上馨らソフトの功績からかもしれないね。地元では伊藤ら長州藩の洋行組を長州ファイブと呼んで売り出している。幕末では維新三傑の桂小五郎や、奇兵隊の高杉晋作ら、数え切れない英傑がいるんだけど、関東軍の暴走を許した首相・田中義一なども称えられている。萩城跡と城下町もとても雰囲気があったよ。
土佐編(高知市)
ざっくり四国半周の旅でも書いたのだが再び感想。空港にも命名するくらい坂本龍馬で有名な土佐だけど、本当に司馬遼太郎の影響が強いと思う。桂浜の坂本龍馬記念館にも以前行ったけれど、名言といっても『竜馬がゆく』の引用ばかりだし、船中八策はほぼ否定されているし、薩長同盟の功績も疑問視されていて、いまや日本史の教科書にも載っていない。むしろ「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」といわれた藩主の山内容堂との右腕の吉田東洋、それを暗殺し隠然たる権力をもった武市半平太、上士の乾退助や後藤象二郎、三菱の岩崎弥太郎などの功績にもスポットライトが当たってもいいかと思う。高知城内にある山内一豊とその妻の銅像だって大河ドラマの影響でしょう。長曾我部氏の歴史や郷士の歴史なども、ちゃんと触れなきゃいけないのではないかな。
薩摩編(鹿児島市・南九州市知覧町)
薩摩もざっくり九州一周の旅で触れたけれども再び感想。島津氏は筑前の岩屋山の高橋紹運を討ち死にさせ、立花山の息子・立花宗茂を包囲するくらい、あと一歩で九州平定する力を持ってたんだね。関ケ原の結果、薩摩・大隅に閉じ込められたのはさぞ無念だったでしょう。一国一城令が出ても、知覧など113の武士団で「支城」を守らせたっていうから意地もすごいね。鹿児島の鶴丸城は意外と知られていないけれど、全国有数の大手門をはじめ、西郷が散った城山を含む大規模な城だったんだね。鹿児島市には西郷、大久保、小松帯刀から篤姫まで無数の銅像があって回るのも大変。
おわりに
薩長土肥の共通点は、そうだねえ。薩長とも農本主義の他藩を横目に海運に力を入れて、反射炉や造船など西洋の技術も積極的に取り入れて、まあ力を蓄えてたんだね。福岡県民の視点からいうと、やっぱり大久保から伊藤から故安倍晋三氏まで、明治維新以降の政治の主導権を藩閥に握られて、やっと出た広田弘毅総理大臣も絞首刑と、不運な道のりを歩みます。まあでも確かに今や福岡市は九州一の大都市になっているわけだし、先人たちの苦労の上に生きてるんだなあと実感しながら、これからも暮らしていきたいですね。
おしまい。
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