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なぜ歴史を学ぶのか

いやあ夜もすっかり更けてきましたが、歴史学、アツいですね。歴史を学ぶ意義についての議論はまだまだ続くようなので、以前の記事で登場したリン・ハント『なぜ歴史を学ぶのか』をテキストに、および歴史学の意義と潮流について考察したいと思います。

リン・ハントについて

ところで、リン・ハントって誰?以前の別の記事(記事末参照)で書きましたが、19世紀にドイツのランケから始まった西洋の近代史学は、20世紀半ばにはフランス・アナール史学に主導権を譲りましたが、アナール史学の相対的地位が低下する中、現在の歴史学をリードしているのはアメリカ歴史学界です。彼女はアメリカ歴史協会の会長職を務めたことのある権威ある歴史学者なので、歴史学の最前線にいる人とみていいでしょう。

そのリン・ハントが2018年に書いた歴史学の入門書が『なぜ歴史を学ぶのか』(History: Why it matters)です。4章建ての短い論文ですので、そのまま読んでみてもいいかと思いますが、私なりに解説したいと思います。

第1章「空前の規模で」

第1章では、以前の記事で紹介した通り、集団的記憶(すなわち人々の歴史認識)がアイデンティティをかたちづくるうえで最も有効で持続性のある仕事と結論づけています。ところがそのアイデンティティの根拠となる歴史認識が、いわゆる各国の「歴史問題」という大きな壁にぶちあたっています。つまり歴史の歪曲です。例えば、

・アメリカのトランプ大統領候補は、オバマ大統領の出生がアメリカではないと事実を歪曲した。

・ドイツのナチスによるホロコーストを否認する動きがドイツ国内から中東など世界に広がっている。

・アメリカ・白人国粋主義者からアフガニスタン・タリバンにいたるまで記念碑・聖像破壊が行われている。

・日本では田母神俊雄都知事候補が歴史教科書問題に触れ南京事件や慰安婦を否定した。

・一方の中国・韓国の教科書とも自国の抵抗運動を第二次世界大戦のコンテクストとして扱っていない。

・アメリカ・フランス・イギリスなどの歴史教科書にも問題がある。

・スペインのフランコ総統、インドネシアのスハルト将軍、南アフリカのアパルトヘイト体制などの抑圧の表面化が問題になっている。

――などです。
これらの事例を紹介したうえで、市民は正しい事実を知る必要があるとしています。

第二章 歴史における真実

第二章では第一章を受けて、「歴史的真実」とは何かを考察しています。
例えば、コルシカ生まれのナポレオンがフランス皇帝に付き、権力の座から落ちたことは「事実」ですが、1960年代にアメリカで訓練を受けた白人女性研究者であるハントの「解釈」と、19世紀に愚鈍な甥ルイ・ナポレオン・ボナパルトによる民主主義独裁制度を選択したフランス人に戦慄した歴史家トクヴィルの「解釈」は異なります。このように同じ事実でも人それぞれによって解釈が異なるわけです。

歴史的真実に対する基準には正確な事実、首尾一貫性、完全性がありますが、それすら時代によって揺らぎます。前述のレオポルト・フォン・ランケは「あるがままの事実」のみを欲したのに過ぎませんでしたが、日本や中国や植民地の人々は、近代官僚制国家の樹立を目指してこれらの歴史叙述を必死に学びました。(ランケ以降の)ヨーロッパ中心史観は否定するのは簡単ですけれども、歴史叙述の基準が同じでなければ、過去について議論がかみ合わいません。こうしてハントはヨーロッパ近代史学の歴史叙述を暗に共通の基準とすべきとしたうえで、議論を重ねることにより(完全性など)基準の変更が可能になり、歴史学はより拡大・進化していくと結んでいます。

第3章 歴史をめぐる政治

第3章は、簡単に言うと歴史学の民主化についてです。ヨーロッパのエリート専門職にしか門戸を開かなかった歴史学が、女性、マイノリティ、移民たちにも開き、現代の国民国家やグローバルな世界における歴史学の役割が惹起されました。その歴史が述べられています。

第4章 歴史学の未来

第4章では、エリートの学問から市民の学問に広がったことで、歴史学の対象は拡大・進化したことを説明しました。具体的には、

家族、近隣関係、エスニシティ、性、セクシャリティ、地域などのアイデンティティの問題。

急速な技術や経済の変化、予期せぬ戦争やテロ、伝染病や気候変動などグローバルな問題。

――に拡大したのです。

そしてハントは歴史の意義と魅力について次のように述べます。

歴史は未来に対する大きな行動計画をともなう。だが、同時に、歴史の最も永続的な魅力というのは、現在の関心事に対する視座を与え、そこからの一種の解放感を与えてくれることにある。(中略)私たち自身の偏見から離れて距離感を確立しようとしていることは、集団や国民の賛美というものに対するより批判的な態度であり、他者や多文化に対する寛容な態度である。

p84

と語っています。
西欧の歴史学は3つのアプローチが現在も進行中です。

模範の探索…過去の人間を発見しその境遇から学ぶことは、例えばマルクス・アウレリウスなど古代から今日まで機能しているアプローチです。

進歩の投影…ヘーゲル以来、人類は進歩を続けているという進歩史観を持っていますが、第一次世界大戦以降、大きな疑問も投げかけられています。

「全地球的時間」…地球の歴史。地球温暖化や環境破壊などの解決に役立ちます。

ハントは3つのアプローチとも依然として有効であるとしています。ハント自身にとっても模範の探索、すなわち「私たち以前に登場した人びとに対するリスペクト」はとりわけ大事だといいます。進歩の投影は疑問が投げかけられていますが、進歩の物語である必要はなくても、「ある種の時間の進行の感覚」は必要であるとしています。

まとめ

たった107ページの論考なのに、私のせいで複雑にしてしまったかもしれません。ハントのいいたいことを私なりに補足し、まとめてみます。

ランケが19世紀に実証主義歴史学を打ち立てたときは、歴史学とはたんに起きたことを起きたままに説明することでした。それはまずイギリスのEHカーが「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」と批判し、歴史は現在にも意義のある仕事だとしたことで、歴史学に息吹を与えました。続いて1920年代に誕生したフランス・アナール史学は、政治事件や人物の記述だけではなくて、地理や文化、心性なども考慮し、社会学や心理学を総動員したことで、歴史の対象は大きく広がりました。今の日本の大型書店をみれば「おなら」から「娼婦」までの歴史書があるのはひとえにアナール学派の功績です。
そして歴史学がひろく市民に門戸を開いたことで、女性やマイノリティなどのあらゆる人が、自らのアイデンティティの探求のために歴史学を学ぶようになりました。地球温暖化などグローバルな問題の解決にも役立てられています。歴史学の長所は、物事から距離を置いて俯瞰することで、近視眼的な思考や偏見に囚われることがないことです。
最後にハントは3つのアプローチを紹介しましたが、要するに歴史を教訓としてみることも、人類の未来の方向性を探るために学ぶことも、依然として有効だということです。

いかがでしたでしょうか。歴史はプロの専門職だというのは19世紀的考えで、市民に門戸を開放したことで、歴史学には多種多様な対象が生まれました。とはいえ共通の基準(流儀?)がなくては議論が成り立たないのも事実です。
歴史のメリットは物事から距離を置いて、偏見なく分析できることです。
そして歴史学の目的は、過去から教訓を得ることでも、未来への指標の参考にすることでも、いいのです。いろんな目的があっていいではないですか。

というわけでnoterさんの熱意に刺激されて歴史学について考えてみました。
ありがとうございました。

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