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親を看る 父が脱走した話

 入院中の父は本当にわがままだった。

 それに加えて、入院3か月くらいになると、疲れがたまって痴呆になった。
 わがまま+痴呆 でえらいことになった。酸素マスクをしていたのだけれど、その酸素マスクを苦しいからと言ってとってしまうことはしょっちゅうで、常にわがまま言っていた。

 さらに痴呆が進むと、私の名前がわからなくなった。私の下の名前がわからなくなり、別の親戚の名前を音読みした名前を呼ぶので、彼女とわざと勘違いした作業療法の先生に「奥さんに内緒がバレてしまいましたね」と言われた。

 夜呼ばれて行くと、点滴を持った看護師さんに付き添われながら、夜に徘徊するのは、涙が出てくるのだが、毎晩行われ、父の大名行列は泣けてくることに毎晩開催された。病院にずっといる母と弟の苦労はいかばかりかと思うと涙があふれてくる。

 また、母に代わって、泊りの看病をしたとき、父を椅子からベッドに移すのが大変だった。ゴジラになって暴れまくるからだ。ところが、ある泊りの看病で看護師さんとご一緒していたら、
「ちえ父さん、血圧とか測らないといけないので、一旦ベッドで寝てもらってもいいですか」と2人がかりで迫真の演技で父をとらえ、抵抗してゴジラのようになる父がなんとかすんなりベッドに移ったのでびっくりした。暴れまくって周囲をなぎ倒したゴジラだったが、看護師さん方の色々な技術と努力でこのゴジラ期を乗り越えたことを思い返すと、申し訳なさとありがたさで目頭が熱くなる。

 これまでも、これからも続いた父の断末魔のあがきともいうべきわがままだったが、弟は15時間にも及ぶ初回の手術と数回の補助手術、そして手厚い治療環境を用意し、母は自分の身を粉にしても献身的に看病し、私もなりふり構わず父と母の看病・世話をした。この時3人の努力や結果は本当にすごいものだったと思うんだけれど、それぞれに過酷すぎて精神的にヘトヘトであった。それぞれの痛みが強すぎて、ほぼかみ合っていなくて、互いに讃えて元気づけることが全くできていなかった。

 父が亡くなった後、いとこから
「残された人に後悔をさせない120%の親孝行をさせた父の実力はすごいね」
と言われた。
 言われた時は余裕がなかったから、うちのゴジラ見ましたか?という気持ちがいっぱいで、心に響かなかった。

 けれど7年たった今、生きるのが本当に苦しかったけれど、周りを苦しめたけれど、父なりに一生懸命生きたこと、弟の大手術を父なりに生かしてくれたことに最大限の感謝をしている。

 今は7年前とは全く違った見方で父に感謝するようになったけれど、生きているうちに親孝行ができて、変わらずよかったと思えることは改めてすごいなと思った。亡くなった後、ああすればよかった、こうすればよかったという後悔を、身内に全くさせなかったからだ。やりきったという爽快感だけ残した。子供を身を挺して守るという目に見える徳だけでなく、接していてぱっと見、徳だということに全く気付かない、ぶっちゃけて言っちゃえば、赤ちゃんが大泣きするのが徳、年老いた方が老いて苦しむのが徳というように、遠くで見守っている周囲が気付くという徳というのもあるのだな。と思うと、父をちゃんと看て親孝行できて本当によかったなと思う。

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