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映画・ゆれる人魚〜女ゴコロがゆれない日なんてない、という話〜

※ネタバレを含みます!

映画『ゆれる人魚』を見た。

1980年代、共産主義下のポーランドが舞台。海から陸へ上がってきた美しい人魚の姉妹、シルバー(姉)とゴールデン(妹)は、ワルシャワのナイトクラブにたどり着く。

姉妹はステージにあがりストリップを披露。あそこまで晒し、頑張る。それを見たクラブのママは「よくやったわ。私のかわいい娘達」と2人に頬擦りをする。子を売る母、母を売る子。血の繋がりを持たない女同士がママよ娘よと呼び合っても、所詮は女同士。紡がれる母娘のドラマには打算によるアレコレが多い。

初めてのタバコも、ハイヒールも、街も、お酒もトキメキに満ちている。やがて姉・シルバーはナイトクラブのバンドメンバーのひとりで、ベーシストで、もちろんイケメンのミュテク君に初めての恋をする。

このオトコが節操のないやつでロクなことがないのだが、さて置くとして、トキメキの真っ最中にある姉を、妹・ゴールデンは憂いていた。惚れた男が別の女と結ばれるその日の日の出を見ると、人魚は泡となり消えてしまうのだ。

ミュテクくんいいですね〜。
若かりし頃、SPACE ODDITYあたりの、ディヴィッド・ボウイにそっくり。

「ボクにとってキミは魚なんだ」とつれないミュテク。ゴールデンの懸念通り、彼は別の女と結ばれ、その婚礼の朝にシルバーは彼の腕の中に抱かれながら消えた。そして姉を失ったゴールデンは、ミュテクの首を食いちぎり海へ帰っていく、というなんとも不穏なお話。ただただイケメンのバンドマンには気をつけろという注意喚起と教訓の込められた物語であった。いや、違うか。

アンデルセンの『人魚姫』をもとに描かれた『ゆれる人魚』だが、捕食シーンから連想するのはセイレーン。美しい姿と歌声で船乗りを魅了し、食べてしまうギリシャ神話上の怪物だ。美しいバラにはトゲがある、と。ちなみに劇中ではゴールデンが、彼女に言い寄るおじさんを左手で制し、「私も大好きよ。でも誰にも言っちゃダメ」と言って微笑み、別の男をお部屋に連れ込んで食べちゃうシーンがあるのだけれど、デキるホステスすぎて好き。

母の庇護を、与えられたセーラー服を、パンティを脱ぎ捨てオトナになっていく過程で、たくさんの初めてを経験し、傷だらけのカラダを抱え、女の子たちはグロテスクに残酷に花ひらく。消えていく儚さと、トキには牙を剥くその凶暴性の狭間でゆれる私たち。

だって夢みる少女じゃいられない(相川七瀬)。

でもきっと私は、消えてしまう道を選ぶだろうな、とたどってきた甘く苦い日々を思ったのでした。


終わり

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