不得意なことは他人に任せて、得意なことを伸ばすほうが人生は楽になる
あなたの苦手なことは何ですか?
苦手なことが出来るようなるために、頑張り過ぎていませんか?
出来ないことを出来るように努力しても、楽にはならない
過去の私は、「出来ないことを出来るようにする」ために頑張っていました。
私が出来ないことは、人前で話すことやプレゼン。
大勢の前で話すと緊張してしまい、全身が震え、胃が痛くなるほど。
社会人になって人前で話す機会が増えたので、どうにかきちんと話せるようにならなくてはと、はるばる新幹線で東京都内の話し方教室に通うことにしました。
家族旅行で東京に遊びに行った時にも合間の時間で話し方教室へ向かった時には、家族も呆れていました。
「なぜそんなに頑張るの?」と。
きっと私は、出来ないところを見られたく無い、
出来ないやつだと思われたくない。
他人からの評価が怖かったから
必死に頑張っていたのだと思います。
そこには、自分がやりたいという意思はありませんでした。
他人からの評価が絶対でした。
もちろんこうした努力の結果、上司や同僚など色んな人から「なぜそんなに上手に話せるの?」と称賛されることもありました。
でも、「もっと頑張らなきゃ」
「自分は努力しないと誉められない」
そんなふうにプレッシャーを感じるようにもなっていきました。
それなのに「もっと頑張れる」と考えて、私は苦手なプレゼンがメインの部署に自ら希望して異動。
その結果…私の精神は崩壊しました。
心の中では「向いてない」と気づいていたはずなのに、努力すれば大丈夫だと思ってしまったのです。
異動した先での苦労についてはとても長くなるので、追々書きたいと思います。
出来ないことばかりに目を向けていると、出来ることに気づかなくなる
さて、このような無理な努力とは反対に、全くの努力なしで褒められるようなこともありました。
私にとってのそれは「文章を書くこと」です。
元々小さい頃から読書が好きなこともあって、国語が得意でした。
中学の国語のテストはいつも50点満点中40点以上。
高校のテストでも学年上位でした。
何も勉強していなかったのに、です。
現代文で主人公の心情を読み取りなさい、といった問題は、手にとるように答えが分かりました。
大学受験も得意な小論文を使って推薦入試で合格しました。
大学に入ってからもレポートや卒論など文章を書く作業は苦ではありませんでしたし、教授から優秀だとして他の学生に自分のレポートが紹介されることもありました。
社会人になり、昇進試験で論文提出と面接をする機会がありました。
面接はどんなに準備してもやはり緊張。
対して論文は特に苦労なく書き上げ、
論文を読んだ上司からは「何も指摘することがないほど素晴らしい」と言われるほどでした。
しかし、こんなに得意な「文章を書く」ということを、私は伸ばそうとしませんでした。
なぜでしょうか…。
今になって考えると、
私は自分が出来ることよりも、出来ないことばかりに目を向けていたからだと感じています。
不得意なことは他人に任せて、得意なことを伸ばすほうが人生は楽になる
自分が楽に生きるためにやるべきことは「自分が得意なことをもっと伸ばす」ことだと、これまでの人生を通じて実感しています。
もちろん、ある程度の努力は必要だと考える人もいるでしょう。
でも…
自分が「努力している」と感じている時点で、心は苦しんでいます。
得意なことなら、もっと得意になろうとする過程を「努力している」と感じないはずです。
得意なことは伸ばせるようにする。
でも不得意なことは、得意な人に任せてしまいましょう。
誰もが何でも出来る完璧人間になんてなれっこありません。
出来ないことがあって当たり前だし
出来ないことと同じように得意なことだってあるはず。
得意なことって案外自分では気づかないものですが、
出来ないことに目を向けるのでは無く
やっていて苦にならないことに目を向ける…
そうすると、自分はどんな働き方が向いてるのか
どんな生き方が楽に生きられるのかが
分かってくるのではないかと思います。
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