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口内炎だと思ったら「がん」だった話(5)

現在就業先を探し中。
舌を半分失った私にインサイドセールス職もカスタマーサクセス職も営業職も難しい。前職の上司との約束が守れず、ごめんなさい。
しかし、私は退院してから「WEBデザイン」のスキルを得ました。
失ったものも多いけど、その分「できること」「得たこと」に目を向けて生きていきたいと思います。


これまでのあらすじ

ようやく入院をして、手術前に様々な検査や口腔ケアを行いました。
ふつうに病院食を完食し、歩いて診察室まで行く私はほんとにステージⅣのがん患者なのか?と手術を目前に控えていても疑ってしまうほど元気でした。
ちなみに、入院翌日の東京は暖かかったようです。(外に出ていないので肌感覚が分かりません。)

★過去の話は下記から読めます。

2月21日(水)

手術当日。
この日は前日と比べて気温が下がり、寒かったです。

6時起床。昨日と変わらず血圧と体温測定を行いました。
ただ一つ異なることは、7時以降に水分摂取も禁止であること。私の場合は服薬もないので問題ありませんでした。(冬なので喉もあまり渇かず。)

朝ごはんも食べないのでさっそく歯と口腔内のケアをしました(1回目)。
8時過ぎに、家族(母と父)がお見舞いに来てくれました。仕事も休んで、こんな朝早くに車で乗ってくるなんて、病気が判明する前は思いもしませんでした。(ほんとは涙を流す場面なのかもしれませんが、手術前の準備と荷物の預け入れでバタバタしてました。感動味なしですね。)

2回目の口腔ケアをしているときに先生たちが朝の巡回で来ました。スポンジブラシとうがい用コップを手に持って「ちゃんと口の中を消毒してるよ」アピール。笑

じゃ、あとで手術室で待ってる

そうか。とうとう手術室に行かなきゃいけないのか、と緊張が走りました。
怖いような、ありがたいような。

口腔ケアが終われば、手術着に着替え、左脚に弾性ストッキングを付けました。素人には難しいのでストッキングは看護師さんに履かせてもらいました。「メディキュット®️」より圧力が強いのです。

8時50分、私は看護師さんと一緒に地下1階の手術室に向かいました。
手術室には私と同じように、準備をしている患者さんが数人。室内は寒いのでオレンジ色のタオルを肩と膝にかけて、名前の確認をしたり、髪の毛をビニールのキャップに入れたり、看護師さんと担当医に言われるまま行いました。

あ、なんだ。まだ台の上にのらないのか、と少しほっとしましたが、間が空くほど緊張感が高まりました。

そして、いよいよ手術台へ。
台に腰掛けると、思っていたより台が狭かったです。余裕で納まるだろうと想像していた細身な体が緊張も相まって硬直していました。
心電図のパットも冷たくて、くすぐったくて、早くも台から降りたいと感じました。

ひと通り(?)の手配が終わり、オペ着の主治医が登場しました。その時も何か言っていましたが、ほぼ覚えてません。ごめんなさい!
(「よろしく」と言っていた記憶がありますが定かではありません。我ながら「ブラックジャックかよ!」と突っ込みたい。笑)
声をかけていただいた後に、全身麻酔用のマスクをつけて3呼吸したら、私の意識はもうなくなりました。
ほんの一瞬でした。

それから約10時間(もしくはそれ以上?)私は眠り続けていました。

母と父はしばらく病院にいたそうですが、終わる時間が夜になってしまうのでこの日はいったん自宅に戻りました。
主治医から手術完了の連絡が母のもとに来たのは夜6時半過ぎだったそうです。無事に終わってほっとしたようです。

翌日も母と父はICUにお見舞いに来たようですが、ベッドの上で寝ている私は気配すら知らず。母らは先生たちと話をして帰りました。

2月22日(木)

ICU入室2日目

私が目を覚ますと、時計の針が7時20分を指していました。でも、窓がない空間なので陽の光も入らず、朝なのか夜なのか全然わかりませんでした。先生方の巡回があったこと、そして看護師さんの交代の挨拶があったので、恐らく朝だと思います。

人工呼吸器が外れていて、私は自分の鼻から空気を吸っていました。
といっても、左の鼻の穴に栄養剤が通るチューブを入れ、気管切開をしたのでカニューレという管が喉に挿入されていました。

なので、声は出ませんでした。
舌も膨張して口の中が自分のものじゃない感覚でした。
唾を飲み込みたいのにできない。
咳をしたいのにできない。
話したいのに話せない。
普段、無意識で行っている行為ができなくなってすごくもどかしかったです。

午後になると、術後初めて立って歩く練習をしました。
手術して翌日。24時間も経っていないというのに、ベッドから起きなければならないのです。スパルタ!と思いますが、それにはきちんと医学的根拠があります。術後早期に体を動かすとその後の回復が早くなると言われているようです。(医師や看護師の指示に従って様子をみましょう。)
なので、私の体もベッドから引き剥がされました。笑

ベッドから脚を出し室内履きに入れました。(担当医師2人に手伝ってもらいました。)歩行補助器具(室内用歩行車)に捕まり、担当医師に支えられながら立ちました。その時「アルプスの少女ハイジ」に登場するクララが初めて立って歩いたシーンが浮かびました。あぁ、クララもこんな感じだったのかな。
術後立っただけでもすごいのに、意外といけそうという判断でしたのでそのままICUの周りを一周歩きました。

医師は「若いから」といってました。
31歳にもなってまだ「若い」と言ってもらえるんだ!と感動しました。(高齢の患者さんがいかに多いか痛感します。)

この日、事件(というほど、大げさではありません)が起きました。

午後9時過ぎ。
何度目かのたん吸引をするとき、
カテーテルが切開した管にグサっと入り、私は吐いてしまいました。
何も食べてないから、口から胃液のようなものと唾液が出ました。

私自身もショックでした。
吐いているのに、眼からは涙が出できました。

看護師さんはカテーテルを引っ込め、
ピンク色のプラスチック製の器を手に背中をさすってくれました。
パジャマの上が汚れてしまったので新しいものに取り替えてもらいました。
そのとき、上半身に何もつけてなく恥ずかしかったのですが、そうも言っていられませんでした。

何度も「ごめんね」と看護師さんから声をかけられましたが、
「ごめんね」を言うのは私のほう。
私は「ごめんなさい」と言いたかったです。

その後、なんとか状態が落ち着き、喉にたんが絡まって苦しいまま、寝ました。

つづく。