アンチナタリズムと「有」の思想

人間はそもそも「無から生まれたもの」であり、人間が生まれなかった宇宙とは不可能なものである。アンチナタリズムとは、トロッコ問題と類似しており、ジレンマを抱えている。要するに、人間や知的生命体が永遠に生まれない宇宙を作り出す為に、子供を産み、研究をさせて、自分は子の責任を負う(トロッコのレールのレバーを引く)か、子供を作らずに、不幸を最小限に抑える(トロッコのレールのレバーを引かない)の問題を抱えている。いくら人間が滅んだところで結局、人間は無から誕生してしまうのだ。

ナタリストとは?


ナタリストの「有」こそ美しいという内向的感情/外向的思考の思想は、有る事自体が美しいという存在自体が、貼り紙禁止の貼り紙のような物で、土地の所有権を最初に言い出した人間のように、存在を許される根拠は無い。
彼らが言うには「人は正しいから価値があるのではなく、人は存在しているから正しくて価値がある」

虚言癖も、この部類にあたるだろう。人は嘘をつくことで、現実という何もないもしくは「全てが埋め合わされるように存在する世界」に意味をもたらしている。虚言癖が自己愛的なのは、このように、無から有を抽出する過程で、自分の存在を嘘で愛撫し包み込むからである。

ニヒリストとは?


ナタリストが「有」の思想なら、その逆はニヒリストの、ニヒリスティックな「無」の思想である。彼らは、自分の存在根拠を疑い、哲学的に考える。この思想は外向的感情/内向的思考からきており、自分は正しくなければ、存在価値はないと考える。彼らにとって「人間は存在しているから価値があり正しいのではなく、人間は正しいなら存在価値がある」

有は無に勝つのか?

有と無の争いの中で、最終的にどちらが勝利を収めるのか、という問題に対して、少なくとも無が勝利し続ける事は不可能である。何故ならば、やはり宇宙は無から誕生したのが明白だからである。無の陣営のなけなしの抵抗手段が、アンチナタリズム以外に何があるのか……と言われてしまえば、やはり自分の人生に没頭するという事である。自分の存在価値を問うていく過程に価値を見出す他、抵抗手段はないのである。人は、一度生まれてしまえば、永劫回帰の檻の中に閉ざされてしまうが、そこでも自分の人生の価値を吟味していく狂気こそが必要になる。アンチナタリズムを掲げて生きるなら「それもいいね」といえる人生を標榜して生きていかねばならないのである。

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