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旅の始まりはラオスのルアンパバーンから

いつもより早く、目を覚ます。今日はどこに行って何をしようかなと考える。自分の意思と選択で今日を創れることがとても新鮮だ。


ハノイでの1年半の生活を終えてラオスに来た。ハノイのこともまだ整理しきれていないのだけど、それはこれからまたゆっくり考えるとして、この新鮮な気持ちが冷める前にラオスでのことを書く。


※これから東南アジアをゆっくり回っていく。でも実はお寺とか、観光客で溢れる観光地にあまり興味がないので、「この土地に住んだらどんな暮らしなんだろう」ということを知ることを目的に【スロートラベル】(調べたら今、そういう言葉があるらしい。)を1ヶ月ちょっとしようと思う。こんな機会はあまりないので、有給休暇と貯金を盛大に(いや、大切に)つかう。


*


私は旅に出たとき、なるべくその国の言葉でお礼や挨拶をしようと思っている。

しかし、ベトナムで簡単なベトナム語を覚えた私は、なぜか旅行に行くとつい、ベトナムに限らずどこの国でも「カムーン」(ベトナム語で、ありがとうの意味。)とか、「シンチャオ」(こんにちは)を使ってしまう。

癖なのか、なんなのか。



「ベトナム人ですか?」と、ラオスのゲストハウスで聞かれた。

その時も私はなぜか、ラオスに来たというのに「シンチャオ〜」と、受付の男の子に挨拶していたからだ。なんと、ちょうどその男の子は、ベトナム人だった。ベトナムからラオスに来て働いていて、今ラオスに住んで5ヶ月目だそう。なんたる偶然。今日のゲストの中にも、2人ベトナム人がいるよと教えてくれた。私のパスポートの中にある、ベトナムでのビザを嬉しそうに眺めていた。


その後、ゲストハウスの周りを歩き回って偶然見つけたバーに入った。そこで、ベトナムに4年住んでいたと言う、ベトナム語がペラペラの男の子に出会った。彼はラオスの貧しい村からルアンパバーンに来ていて、村を助けるためにここでバーを経営しているらしい。これについては後で書きたいと思う。(ああ、書きたいことがいっぱいだ。)


そのバーで、スイス人と中国人の2人と仲良くなった。あまりにも仲が良かったので、ゲイかと思っていたが、違かったらしい。

上海で働いているエンジニアで、フリーランスだそう。スイス人のトニーは中国語がペラペラだった。仕事では中国語と英語、半々だそう。中国に長く住んでるが、中国は嫌いだ!と声を高らかにして訴えていた。

ラオスに着いたばかりの私に、ルアンパバーンのことを、まるでツアーガイドのように教えてくれた。小さい街だから楽勝だぜ、と言っていた。


ナイトマーケットに連れて行ってくれて、彼らから値切り方を学んだ。最初は言い値の半額からスタート。違う店ではもっと安かったぞと言う。ダメなら去ろうとする素振りを見せる。

彼らは値切りの達人だった。(笑)


私は、日本以外の国で物を買うとき、現地の人よりちょっと高い値を出したとしても、自分が納得した金額であればまあいいかと思っている。「(あなたの国に)お邪魔します料金」と、考えている。




彼らのおかげで、ルアンパバーン通に少しだけ、近づいた気がする。

帰り道に星をいっぱい見た。ベトナムではほとんど見えない、と私が言うと、「もちろん、中国でも見えないよ」と大笑いしていた。

「今はベストシーズンじゃないからレストランもガラガラなんだよ」と、トニーが話してくれた。私にとっては今がベストシーズンでもいいのではないかと思えるくらい今日のルアンパバーンが素敵に思えた。



ハノイから1時間ちょっとのこの国は、少しベトナムにも似ている。とてもカラフルなこの街が、早速好きだ。



ちなみに1番感動したのは、コンタクトの洗浄液がローカルの薬局でごく普通に、あたりまえのように買えたこと。ハノイで買ってくればよかったなあ、なんて思っていた。駄目元でたまたま見つけたお店に入ってお店のおばちゃんに聞いたら、「あるよ」と、即答で用意してくれた。

ひょっとしたら、ここにも住めるかもしれないな、なんて思った。



※ハノイでもおなじみ、 JOMAカフェで書いています。

Joma Bakery Namkan
Kingkitsarath Rd,Luang Prabang,Laos(果たして、これが住所なのか。)
OPEN: 7AM-9PM

いつも見てくださっている方、どうもありがとうございます!こうして繋がれる今の時代ってすごい