「名誉の値段」――初期アイルランド社会の特徴的制度

「我に槍を!」吟遊詩人は言った。
「人々が誓うものに我は誓う」クーフランが言った。
「お前は俺が必要とするほどには、この槍を必要としていない。エーリウの男たちが俺のもとへ向かっている。俺もまたやつらのもとへ向かっている」
「もしも汝がそれを寄越さぬというのなら、我は汝を謗り不名誉を伝えよう」「俺は吝嗇と賎しさから謗りをうけたことは一度もない」
 クーフランは詩人に槍をその柄を先に向けて投げた。槍は詩人の頭を貫通し、その後ろの九人を殺した。(「クー・フランの死」、Whitley Stokesによる抄訳版、枕屋痛子氏による邦訳


1.初期アイルランド社会における「名誉」のあり方

「名誉」という言葉を現代日本ので使うのは、せいぜい「名誉毀損」くらいでしょうか。我々にとってそれは、あまりに曖昧模糊とした、抽象的な概念です。

しかし、かつてアイルランドでは、「名誉」という言葉には具体的で現実的な響きが伴っていました。人びとの「名誉」には、それぞれに値段がついていたのです。この金額は英語でhonor-price、直訳すると「名誉の値段」、と呼ばれています。アイルランド語ではヂーリェ(díre)、またはローグ・ネニャッハ(lóg n-enech;「顔の値段」)といいます。

この「名誉の値段」はバラバラに決まっているのではなく、身分と紐づけられていました。前近代アイルランドは極めて階級的な社会であり、下は奴隷から上は王まで、様々な身分が存在していました。

少しわき道にそれ、アイルランドにおける「価値」のありかたを前提として説明しなければなりません。アイルランドにおける価値体系は、「牛」を基本単位としています。前近代アイルランドは牧農社会であり、牛は財産とステータスの象徴です。またアイルランドは極めて階級的な社会でもありました。アイルランドにはクウァル (cumal) という価値単位があり、女奴隷一人分に相当します(奴隷は一切の人権を持たぬ単なる所有物でした。ケルト人にも奴隷がいたというのは意外でしょうか?)。これは乳を出す雌牛(ボー・ムリフト;bó mlicht)3頭分に相当します(bó:牛、mlicht=英語milch)。他にも価値単位がいくつもあり、その半数以上は牛によって表されます。例えばダルチ(dairt;一歳の雌の仔牛一頭=乳を出す雌牛1/4頭分)、ダルタズ(dartaid;一歳の雄の仔牛一頭=乳を出す雌牛1/8頭分)などです。

さて、本題に戻りますが、「名誉の値段」の具体的な金額は、最高額のもので14クウァル(女奴隷14人分=乳を出す雌牛42頭分)から、最低額のもので1ダルチ(一歳の仔牛一頭=乳を出す雌牛1/8頭分)までの範囲です。14クウァルはリー・ルリャッハ、すなわち最も高い位の王(rí ruirech;アイルランドは小さな国が林立する社会で、それぞれに王がいました)のもの、1ダルチはフェル・ミズボス、すなわち父親の土地に住んでいる半人前の若者(fer midboth)のものです(なお、後者よりも位の低い身分は存在しますが、それらにはそもそも「名誉の値段」はついていません。あくまでも自立した一個の人間として扱われる者にのみ、名誉というものが認められたのです。先述した奴隷以外にも、いわゆる小作人のような身分もあり、それらも「名誉」を持ちません)。


2.「名誉の値段」の機能

2.1.犯罪の補償としての支払い

さて、かかる「名誉の値段」とは、社会生活において一体どのような機能を果たすのでしょう。色々ありますが、まず、その人に対する犯罪行為全般(殺害、重度の傷害、風刺詩による侮辱、歓待の拒絶、窃盗など;軽犯罪は除く)の際に支払われる補償の額となります。

例えば、先述した最高位の王に対しての犯罪は、補償として「名誉の値段」である乳を出す雌牛42頭、あるいはそれに相当するものの支払いが必要になります。しかし同じく先述の父親の土地に住んでいる半人前の若者に対して、同じ罪を行った場合、「名誉の値段」の分の支払いは乳を出す雌牛1/4頭分だけでよいのです(これ以外の支払いもあり、犯罪によって決まっています。つまり「名誉の値段」の分+各犯罪の分ということです)。

上に述べたことはすなわち、相手の「名誉の値段」によって、すなわち相手の身分によって、同じ行為でも罪の重さが変わるということを意味しています。「目には目を、歯には歯を」で有名な「ハンムラビ法典」においては、平民と奴隷の身分格差が反映されており、奴隷の目を見えなくしたり、骨を折った場合は、その奴隷の半額が罰金として科されましたが、それと同じように、身分によってその罰金の重さが異なるのです。我々の社会であれば、相手が例え総理大臣であれ大企業の社長であれ、罪は罪として等しく裁かれますが、前近代アイルランドにおいては異なります。なるほどまさに身分制社会ですね。


2.2.法的行動の制限

さて、「名誉の値段」の他の側面として、その人が取れる法的行動の限度を規定するという機能もあります。初期アイルランド社会におけるもっとも一般的な法的行動は「契約」であり、それには当然金品の授受があります。そして、人びとは自分の「名誉の値段」を越える金額の契約を結ぶことや、そのような契約の保証人になることはできませんでした。


3.「名誉の値段」の上下

3.1.不名誉な行い

「名誉の値段」は、社会的に相応しくない行動を行うと下がります。契約の保証人を例にとりましょう。初期アイルランド社会には、三種類の保証人の立て方があります。そのうちナズム(naidm;「強制保証人」)という保証人になると、契約した両者が契約を履行するように様々な方法で促す義務を負うのですが、これを怠ると「名誉の値段」が下がりました。引き受けた仕事を全うしないことは、やると言ったことをやらない、嘘を吐く行為ですね。己の言葉を違えるのは、名誉ある人にふさわしいことではありませんので、「不名誉」と言えるでしょう。

また同じくアテャレ(aitire;「人質保証人」)という保証人になると、契約が履行されなかった場合、契約違反者でない側の人質となり、所定の期限までに契約違反者は適切な額を払ってこれを解放しなければなりません。この場合も、保証人の義務を履行しなかったとき(この場合は自らの身柄の引き渡しを拒んだとき)「名誉の値段」が下がります。なお、契約違反により人質となったアテャレ(「人質保証人」)を解放するために契約違反者が相手方に払わなければならない金額の中には、保証人の「名誉の値段」も含まれています。他者の虜囚となるのもまた「不名誉」なことであるため、保証人の名誉を傷つけた補償をしなければいけません。


3.3.詩人と名誉

名誉と関連の深い職業として「詩人」があります。なぜならば、詩人は他者の「名誉の値段」を上下させることができたからです。その手段が詩であり、相手を賞賛する詩によって名誉を高め、反対に相手を嘲ったり皮肉ったりする風刺詩を作ることで名誉を傷つけるのです。

詩人は、初期アイルランド社会において非常に高い地位を持っていました。市民権を持つ身分は全て、いわば上層市民と下層市民という風に区別されていたのですが、種々の専門職の中で、詩人のみが上層市民であり、それ以外の専門職は全て下層市民に分類されていたのです。このことは、他者の名誉を左右するという詩人の職能が、社会的にいかに重要なものであったかを物語っています。

他者を皮肉ったり貶したりという言葉による攻撃には、相手の身体的特徴を身振りによって揶揄することから、風刺詩を作ったり、他人の作った風刺詩を復唱したりすることまで、広い範囲の行為が含まれます。

さらに、この風刺という言葉による攻撃には、正当なものと不当なものとがあり、正当な理由がなければ犯罪と見なされ、「名誉の値段」を補償として支払わなければなりませんでした。これこそまさに「名誉毀損」ですね。一方で、正当な風刺は社会正義のために重要な役割を果たしました。なぜならば、それが人々、特に王などの高い地位にある人々に対し、法に従うことを促す圧力として働いたからです。そしてこの風刺詩を無視することもまた犯罪であり、王や地主が風刺詩を無視すれば、その人の「名誉の値段」が下がるのです。それを避けるためには、正当であれ不当であれ、適切な対応が必要になります。

ここで、伝承の中に例を探し求めましょう。一つは冒頭に掲げた「クー・フランの死」です。クー・フランが詩人の求めを断ると、詩人は彼の名誉を傷つけると脅します。これは正当な名誉への攻撃でしょう。

皿の上に食べ物もなく、
仔牛を育てる乳もなく、
闇の帳の降りた後に一人の人の眠る場所もなく、
語り部たちへのもてなしもない――ブレスをしてかくあらしめよ。(「マグ・トゥレドの戦い」(Cath Maige Tuired) 、Elizabeth A. Grayによる英訳の拙訳)

これは以前の記事(アイルランドにおける「もてなし」 の義務――初期アイルランド法)にも示した、「マグ・トゥレドの戦い」の例です。歓待を求める詩人カルブレをブレス王が拒絶し、その報復として詩人カルブレはブレス王の名誉を攻撃する風刺詩を唄いました。そしてこれはアイルランドで最初の風刺詩であったと語られています。客人への歓待はアイルランドの多くの身分に課せられる義務であり、特に王はほぼあらゆる客人をもてなす義務を負いました。よってこれもまた正当な言葉による報復と言えるでしょう。神話ではこの直後にブレスが王位を追われることになるのですが、この風刺詩によってブレスの「名誉の値段」が下がり、王としての「名誉の値段」を失ったことによる、という法的な解釈が可能なのかもしれません。

これらの例のように、不当なる行いに対してはその名誉を傷つけることで応報する、ということが可能なので、「名誉の値段」が制度化されていることにより、身分の高い者が横暴に振る舞うことを制限することが可能になっているのです。それゆえに、先述のように「名誉の値段」を左右することができる詩人の職能は重要なわけですね。


詩人とは関係ありませんが、以前の記事(アイルランドにおける「もてなし」 の義務――初期アイルランド法)で言及したブリウグ(briugu)「歓待者」という身分について、再度ご紹介します。これは、あらゆる訪問者を限度なくもてなす義務を負い、その代わりに高い身分を得る(その「名誉の値段」は、最高位のブリウグだと最低位の王と同等になる)というものでした。この身分は、ブリウグ本人は財産だけでは得られない地位と名誉を得られ、社会はセーフティーネットを得られるという双方向のメリットがあるものと思われます。このような身分の存在からも、名誉というものが初期アイルランド社会においていかに重んじられていたか察することができます。


伝説の英雄クー・フランの話をしましょう。クー・フランは常に名誉を重んじ、不名誉を死よりも恐れていました。冒頭に掲げた「クー・フランの死」における詩人とのやり取りでも、詩人に謗られ名誉を失うことを避けたがために、最終的に命を失ってしまうことになるのです。命よりも名誉を重んじるその様は、まさにアイルランドを象徴する英雄であると言ってよく、その生きざまは、あらゆる戦士達の模範となったことでしょう。

この記事の最後は、「ブリクリウの饗宴」からの引用で閉じたいと思います。クライマックスの場面、大斧を携えた大男に変身したクー・ロイ王の挑戦を受け、クー・フランが己の首を切られるのを待つ場面です。

翌日、アルスターの者たちはクー・フランが逃げないよう見張っていた。他の戦士たちがしたように、彼があの大男から逃げるかどうか見定めるためである。アルスターの者たちが、クー・フランが大男を待っているのを見た時、彼は大いに沈鬱な面持ちで、葬送歌を歌うにふさわしい様子だった。そして彼らにとって確かだったのは、あの大男が来たとき彼の命が尽きるということであった。それ故、クー・フランは恥のためコンホヴァル王にこう言った 。
「俺の盾と剣にかけて、俺はあの大男との約束を果たすまで逃げることはない。俺の眼前には死があり、名誉ある死は(それを避けるよりも)俺にとっては良いことだからだ」(「ブリクリウの饗宴」、拙訳、¶99)


参照文献:
Fergus Kelly, A Guide to Early Irish Law, Dublin Institute for Advanced Studies, 1988, esp. pp. 8-10.

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