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【レポート】学生トークサロン『卒業後のキャリアを考える――先輩の話を聞いてみよう』

 東京芸術祭2022のスクールプログラムとして開催された「学生トークサロン」。第1回目の「学生たちが考える『いま東京で舞台芸術を学ぶこと』」に続き、『卒業後のキャリアを考える―先輩の話を聞いてみよう』と題した2回目のサロンが、2023年3月22日(水)にひらかれました。
 ゲストは、大学を卒業したあと舞台芸術の世界に入って働いてきた二人の先輩。現役学生と年齢も大きくは離れていない、20代後半の谷陽歩さん・松波春奈さんの登壇です。集まったのは、舞台芸術のマネジメントや身体論などを学ぶ、現役学生・大学院生たちでした。
 ゲストそれぞれの舞台芸術との出会い方、仕事へと至った経緯や思いを聞いたあと、現役学生の皆さんからの質問へのフィードバックの時間もたっぷり取られた、この日のサロン。進路への悩みや、舞台芸術への思いについてなど、現役学生からは切実な問いがたくさん出ました。終わってみると、予定時刻を大きく上回る長時間のディスカッションに。
 これから舞台芸術界を目指すことを考える学生へ向け、ヒントが詰まったゲストたちのプレゼンテーションと、その後の議論をレポートします。

松波春奈さんのプレゼンテーション

制作者という仕事との出会い――大学時代の活動

 今年27歳になる松波さん。卒業してからの5年間、舞台芸術の分野で「制作」や「運営」、「文化政策」など、多岐にわたる仕事に携わってきたアートマネージャーです。もともとモダンダンスをやっていた松波さんは、高校卒業後ダンスの専門学校へ行きたいと考えていましたが、親御さんのご意向もあり大学への進学を検討することに。舞踊学科がある桜美林大学へ入学します。入学前まで、演劇は劇団四季ぐらいしか見たことがありませんでしたが、大学ではアングラ系の演劇にもふれ、舞台芸術の知識の幅が広がったと話します。
 大学の授業では、制作から劇場の技術スタッフの仕事まで、基礎的な知識を学びます。一方、座学ではなく、現場で制作の醍醐味を知ることになったのが、ダンス公演でのもぎり(チケットの半券を切る仕事)の経験でした。「舞台の上にいるとお客さんとは距離があるので、独りよがりになってしまうこともあります。でも制作の仕事は、舞台芸術をとおしてお客さんと直接的にふれあえるんだと、もぎりの仕事で初めて体感しました」。松波さんが1年生のときでした。
 その後も、学生団体の演劇や、芸術祭などで公演の運営を学んでいきました。予算の配分や広報の仕方、物販の仕組などを経験していくなかで、「将来こういう仕事をしてみたい」という思いが芽生えはじめたのもこのころでした。
 3年生の後半はアメリカに留学していたため、3年の終わりごろから松波さんは就職活動を始めます。「小劇場で活動したり、フリーで俳優やダンサーを続けている先輩たちから、なかなか食べていけない実態などを聞いていました。そういった生活は自分には難しいだろうと思い、就活を始めたんです」。そんな就活でしたが、早々に離脱します。「学生時代、ずっと舞台をやってきた。これから先、“舞台がない”生活を考えることができなくなっていました」。

松波春奈さん

働くことを模索する――インターン・ボランティアへの参加

 考えるよりもやってみることが得意なタイプだという松波さんは、4年生の夏、まずは舞台芸術の現場にインターンやボランティアとして身を投じてみることにしました。
 参加したのは、「世田谷パブリックシアター」が募集していた大学生向けの夏期インターンや、「NPO法人芸術家と子どもたち」のインターン。これらのインターン先は大学の教授に紹介してもらったそうです。「『就活に悩んでて……』と相談しました。皆さん、教授にもどんどん相談してみてください)」と松波さん。現役学生に向けたリアルなアドバイスでした。
 ボランティアの情報を集めるとき参考にしていたのが、「美術手帖」や「ネットTAM(ネットタム)」。これらで見つけた「ダイアログ・イン・サイレンス」というイベントや、「SPIRAL(スパイラル)」、日暮里にあった「d-倉庫」などで、受付スタッフといったボランティアに参加するようになりました。「学生だったので、交通費が出て、無料で公演が見られるならいいかなと、いろんなところに行っていました。いまでもそのころに知り合った人たちとの交流があります。ボランティアでの活動をとおしてたくさんのつながりができたのは、振り返ってみるとよかったなと思います」。
 卒業後の最初の職場となった「クリエイティブ・アート実行委員会」も、インターンがきっかけでした。クリエイティブ・アート実行委員会は、多様な人たちとともに作品をつくることを目的とした団体です。「インターンをしているとき、その後の就職先は決まっていませんでしたが、『それならここで働いてみては』と声をかけていただきました。決め手は、ダンスの近くで働ける場所だということでした」。

舞台芸術業界で働く

 クリエイティブ・アート実行委員会では、車椅子のダンサーがいるダンスカンパニー「インテグレイテッド・ダンス・カンパニー 響―Kyo」の制作として、ツアーのコーディネートや、マネージャーを担当しました。ここでの仕事はアルバイトだったため、松波さんはそのほかにも舞台芸術の国際フェスティバル「フェスティバル/トーキョー」(現・東京芸術祭)や、「TPAM」(現・YPAM)など複数の現場で、当日運営や、海外アーティストのアテンドなどの仕事をかけもちしていたと言います。
 社会人4年目までは、このように働いていた松波さんですが、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)拡大には大きな影響を受けました。コロナ禍では、障がいのある方は家から出ることも難しい。ましてや舞台芸術をお客さんに届けることもできない――。「ほんとうに自分がやりたいことはなんだろう」と、ずっとモヤモヤしていたと松波さん。
 複数の仕事をかけもちするかたちでの仕事の忙しさと、自分自身のバランスが取れなくなっていたことも重なり、コロナ禍を経て「安定した職に就こう」と考えるようになったと話します。その時期に、たまたま「全国公立文化施設協会」で職員の募集がかかっているのを知りました。「舞台芸術や劇場とは離れたくない」という思いがある一方、安定した職場環境に惹かれていた松波さんは、同協会への就職を決めます。全国には2,000以上の公立文化施設がありますが、そのうちの1,300ほどの施設が公文協の会員です。
 公文協でのお仕事に加え、松波さんは現在、NPO法人舞台芸術制作者オープンネットワーク(通称ON-PAM)の事務局としても活動をしています。「いろいろな方からお声がけをいただいて、現在の仕事につながっていますね」。

谷陽歩さんのプレゼンテーション

演劇との出会い、幼少期の原体験

 大学卒業後、舞台芸術制作を専門とする「合同会社syuz’gen」に6年間所属してきた谷さん(2023年3月末に退社)。syuz’genではプロジェクトマネージャー、アートマネージャーとしてさまざまな事業に関わってきました。
 谷さんが生まれ育ったのは、神奈川県秦野市。豊かな自然に囲まれた郊外都市の“田舎”で、「他人と同じことはいや」と思いながら過ごしていたと言います。演劇との出会いは、お母さまが連れて行ってくれたミュージカルの「ピーターパン」でした。この舞台をきっかけに、“地元では誰もやっていない”演劇にあこがれをもつように。
 もう一つの原体験として挙げたのが、おばあさまが地元でひらいていた雑貨店「趣味の店TANI」でした。子どものころの谷さんの遊び場です。全盛期は繁盛していた、まちの“なんでも屋さん”でしたが、谷さんが子どものころは廃れてしまって、知り合いしかお客さんが来ないような状態に。子どもながらに「祖母はこんなにおもしろい、いい品を仕入れているのに、なんでお客さんが来ないんだろう。店構えや売り方が悪いに違いない。じゃあこんなサービスをしたらいいんじゃないかと、遊びのなかで考えていました」と谷さんは振り返ります。そういった考え方が、いまの制作業にもつながっているそうです。

谷陽歩さん

syuz’genに入社するまで

 中学生まで「演劇を勉強するぞ、舞台制作者になるぞ」というマインドセットで過ごしていた谷さんは、高校は「神奈川総合高校個性化コース」、大学は「日本大学芸術学部演劇学科企画制作コース」に進学します。
 神奈川総合高校の個性化コースは、舞台芸術、美術、スポーツ、人文科学などの専門分野にアプローチできる授業があり、大学のように過ごせるところ。演劇をやりたい人がたくさんいる状況にショックを受けるなか、「制作という仕事は校内でやろうとしている人がいない」と気づきます。それからは公演を成立させる“制作者”を志すようになりました。
 日本大学芸術学部の「企画制作コース」という名前を見て、「自分のためのコースだと思った」谷さん。ですが実際に入学してみると、高校時代に演劇をやりつくしたと感じていた自分が、今度はまわりの学生とノリが合わないことにショックを受けます。そこで大学時代は、日芸の外に出て、積極的に活動した4年間になりました。
 谷さんが出入りするようになったのが、当時「にしすがも創造舎」という稽古場やフェスティバル/トーキョーを運営していた、「NPO法人アートネットワーク・ジャパン」でした。稽古場を管理するアルバイトや、事業の受付、制作のアルバイトをここで経験していきます。「プロの現場に、育成枠としてうまく入り込めた」きっかけは、高校の先輩たちの集まりに顔を出し、そこに来ていたアートネットワーク・ジャパンの米原晶子さん(現・理事長)に名刺を渡したことでした。「どこで誰が自分のことを思い出してくれるかわかりません。名刺を持っていくことは(学生でも社会人でも)おすすめです」。
 さらに日本大学芸術学部以外の学生との創作にも、関わってきたと話します。「問いから発せられるものを大切にして、可能性を探求していくつくり方の“哲学”を大学の外で体験できたのは、自分のなかで大きなことでした」。

syuz’genから、フリーランスへ

 アートネットワーク・ジャパンから「東京芸術祭」の現場を紹介され、谷さんはsyuz’gen社長の植松侑子さんに出会います。植松さんと現場をご一緒したうえで、当時、会社を立ち上げたばかりのsyuz’genで「働いてみない?」と声をかけられました。大学院の試験に落ちたばかりで、今後の就職先が決まっていなかった谷さんは、「これまで日芸、藝大、アンジェ(アートネットワーク・ジャパン)などで自分が積み重ねてきた能力を発揮できる機会かもしれない」と考え、働くことに。 syuz’genでは、劇団や海外ツアーの公演制作、TPAMやYPAMといった現場での票券や受付、ボランティアマネジメント、東京芸術祭の事務局広報、アジアの舞台芸術に携わる人材育成プログラムでチームマネジメント……とさまざまな仕事に携わります。
 syuz’genを退職したあとは、フリーランスとして同じ業界で公演の“周縁”を取り巻くことに、専門的に関わりたいと、谷さんは展望を話しました。制作者の仕事には、企画・創作・公演事務・公演事後処理といったタイムラインがありますが、谷さんが目指すのは必ずしもここにはのってこないアートマネージャーの仕事です。やりたいことはこの3つ。①アートマネージャーのフィールドをつくること/②公演プロセスの前後をつくること/③めぐり合いの場をつくること。
 最後に谷さんが参加者たちに共有したのが、15年後までのキャリア&ライフプランを考えるワークショップで自らが2017年に記入した年表のコピーでした。「『演劇最強論-ing』のインタビューを受けるとか、在外研修に行く、みたいなことが書いてあって――。でもこのとき見えていた将来の選択肢って、あまりにも狭すぎて、10年後も真っ白だし、いまの自分の方が間違いなく選択肢をたくさんもっているんです。社会人1年目に見えていたのはこんな感じとお伝えしたくて、恥を忍んでお見せしました」。
 『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』という本を引用し、「人生100年時代では、何かを探求する時期、それをアウトプットする時期、そしてそれらを組織化・システム化していく時期を、何度も行き来できるぐらい私たちには時間があります。アートマネージャーとしてどういう選択肢をもっていけるかを、皆さんと探求していきたいと、舞台芸術界で働く仲間として思っています」とプレゼンテーションを締めくくりました。

ゲストと現役学生のディスカッション

 プレゼンテーションのあとは、いよいよ現役学生・大学院生たちとゲストのディスカッションへ。お二人に対する質問や感想などのフィードバックを、ファシリテーターの藤原顕太さんが一人ずつ聞いていきます。

 「芸術に対する熱をどのようにもっていますか?」という質問に対しては、「社会の多様性や、貧困などの問題、あるいは介護といった大きな社会問題に、舞台芸術が関わる側面を知るようになって。自分も舞台芸術をとおしてそういった社会の課題に向き合っていきたい」と松波さん。「インテグレイテッド・ダンス・カンパニー 響―Kyo」などの現場にコミットしてきた思いが語られました。「舞台芸術の現場には、いまでもアクセシビリティがまだまだ実現できていないと感じます。障がいをもっている友達もいますが、一緒にカフェにも行きたいし、舞台も見に行きたい。好きなことを、好きな人と一緒にできたらいいなという思いで、仕事にも関わっています」。

 また「将来に向けた目標設定」をどうつくっていけばいいか? という質問には、谷さんが「舞台制作者として生きていこうと思っていたので、在学中は自分自身のスタンプカードを埋めていくように、けっこう戦略的に過ごしていました。受付ができるようになる、票券ができるようになるといった具体的なスタンプです」とアドバイス。「でも決めていてもそのとおりにはならないし、うまくいかないこともある。スタンプカードは、自分自身を納得させるためのものでした」。いまでも“30になるまでにこれをしておこう”と考えていると、話しました。

 一方、松波さんは「人とのつながりをどうつくっていけばいいか」という質問に、「できるだけ新しい環境に飛び込んでいくことを、積極的にやってみることを自分に課しています」と言います。現場で知り合った制作者たちと、仕事の場では忙しくてなかなか話す時間がもてません。そこで松波さんは、知り合った同世代の仲間たちとごはんを食べたりピクニックに行ったりする集まりをひらいて、つながりを保ち続けているのだそうです。

 就職をするか、演劇活動を続けるかといった選択肢に悩む、切実な声も挙がりました。「人生で大きな選択をするときの軸を、どうつくっているか」という質問には、「自分が心から信頼できる人を見つけてください。自分の軸がまだなかったとしても、この人のアドバイスなら騙されてもいい(信頼できる)という人の意見を聞くことも指針になると思います。もちろん、最終的に決断するのは自分ですが。」と谷さん。ファシリテーターの藤原さんも「渦中にいる人には、軸はなかなか見つからないものだし、迷うもの。あとで振り返ったとき見えてくるものだとも思います。失敗したくない気持ちはわかるけど、一個一個の積み重ねのなかで、たとえ失敗があっても死ななければいいぐらいの気持ちで決めていいのでは」と続けました。

 大学卒業後、社会人経験を積んでから、舞台芸術の分野にその経験を活かして戻ってくることもできるし、収入を舞台芸術以外の分野で得ながら演劇を続けていってもかまわない。「突き詰めると、いろんな道がある。ぜひ、いろんな選択肢をもってください」と、藤原さんがこの日のサロンを締めくくりました。
アートマネージャーとして、いかに多様な選択肢をもちうるか。その大切さが印象に残った「学生トークサロン」になりました。

取材・文:及位友美(voids)