見出し画像

展覧会感想文『平成美術 : うたかたと瓦礫』、平成について

滑り込みで見た。「モヤっとする…」という感触。
なにかと物議を醸している「平成美術 : うたかたと瓦礫」。平成生まれだし見なきゃならんと思って気合いで京都まで行ってきた。

入ってすぐの年表は見応えがあった。平成をタイトルに入れるからにはやっぱりこれは必要だったと思う。これは記載されている項目に関して各々思うことがあるだろうな、とは思う。でも年表で何を取り扱うか、何を排除するか、っていうのはその年表で何を伝えるのか、という基準に沿っているはずなので、これに関しては何も言わない。

展示の方の感想は、なんかこう、何が言いたかったんだろう感があった。
私は椹木さんを尊敬してるし展示されてる方々もみんなすごいのは分かってるんだけど、見終えた感想としては「…?」って感じだった。
平成生まれが故に平成への思いが強過ぎるのだろうか。。
でもとにかくこの展示が、どういう人に、どういう問いかけをしたかったのか、どういう事を考えてほしいのか、みたいのがイマイチ掴みきれなかった。
ある意味六本木で見たSTARS展の方が納得感があった。アートだし納得とかそういう広告的ユーザー目線なんかは気にするべきでは無いのかもしれないし、あれと比べるもんでもないのは分かってるんだけど、それでも掴めなさ過ぎるというか、まぁそれこそうたかた(泡沫)なのかなぁ。

図録を買ったので椹木さんの文章は読んで、時系列に沿った所謂「平成の美術」とは異なる「平成美術」を、という意図は分かったんだけど、「平成」を背負うにはどうだろう。っていうか年表は年表で展示されてたしなぁ。

あと自分が一番「?」となってしまったのはインターネットの雰囲気があまり無かったこと。95年以降は間違いなくインターネットの時代だったし、平成という枠組みで言うならインターネットという世界の中ですらかなりの変貌があったと思う。(ここにカオスラがいればまた違ったのだろうけどそうはいかない、それは重々理解している)
技術カテゴリ(?)はAI美芸研が担ってる、っていうことなのかな。AIはたしかにアート界でも特筆すべき事項だとは思うけどまだまだ大多数の人間にとっては遠い技術で(ほんとは身近にいっぱいあるんだけど)それよりはアクセスを実感しやすいインターネットの流れは入れてほしかった。個人的にはインターネットこそ、うたかたとデプリだと思う。
あと、「アート」ってものと日本の人々っていうのを考えるならチームラボは参照すべきでは?うちは個人的にはチームラボ苦手だしアート文脈で語られるのはほんとに疑問を覚えるんだけど「アート」っていうイメージに対する大衆の考え方には間違いなく影響を与えているから、この展示のガチ勢の中に置かれたらどういう見え方になるのだろう、というのは凄く興味があるんだけどなぁ。(ただ、年表に対して何も言わないのと同じでキュレーションに対してもあれがないこれがない、みたいのを言うのは野暮だとは思うのだが)

とりあえず平たく言うとなんかアートレジェンドガチ勢がドヤ顔で展示してますみたいな感じがしてしまったのだよな。あまりにもアホっぽい感想で悲しくなるけど、今この時代に人々に語りかけるというのは、このガチ感だけだと不十分な気がしてしまう。アートが社会と切り離せないものなら、今のこの、snsばっか見て、お金とか映えとかばっか考えてるような下々の人間(自分も含めて)にも救いの手を差し伸べて欲しかった。
何も適当な俗っぽいものを展示してくれと言ってるわけじゃない。平成と言うからにはもう少し寄り添った展示の方向もあった気がするという話。

とは言えうちみたいな社会的弱者社畜人間が何を言っても無意味なんだが。作品単体で見れば全部刺激になるものばかりだったし知見も得られたのでまぁ良かったんだと思います。
(にしても、なんかスッキリしないんだよなぁ。。)まとまらないが以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?