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インビジブル・シネマ「Sea, See, She – まだ見ぬ君へ」を体験して来た

こういう感想は書き出すに限る。ほんとにただの感想文だけど。

真っ暗になる、という事前情報はあったけど想像の10倍くらい暗かった。自分の目が開いてるのか閉じてるのか分からない。自分の身体が存在してるのかもよくわからなくなってくる。それくらい剥ぎ取られた中で、ものすごい立体的な自然の音とか動物の唸り声的な音が聞こえるので、「あれ、死ぬ…?」みたいな感覚が出てきて結構怖い。

でも暫く経つと少し慣れてくる。冷静に音を聞く余裕が出て来て、だんだん色んなことを考え始める。というかむしろ「耳しか使わない」状況に、不思議とある種の安心感すら生まれてくる…。それで音に対して自分なりの映像が組み立てられていく。
フィールドレコーディングされた音が多いのかな?自然音が多いので最初はやはり自然の風景的な絵が頭の中に浮かぶ。途中電子音っぽいものも入ってくるんだけど、それでも自然の風景だったり、そこから派生した抽象的な映像を想像したりした。

VJやってる時の感覚に近かった。でもVJと違うのは、頭の中の映像で勝負するしかないというか、絵的なリソースが完全に自分頼りになるという状況が面白かった。
まぁ想像とか空想って本来そういうことだし、普段音楽を聴いてる時だって少なからず何か絵的なものを想像することはあるけど、ここまでソリッドな状況ってなかなか無い。かなり集中して自分の頭の中に潜っていたような感覚があった。

面白かったのはビックリするくらい「言葉」や「顔」のような固有名詞的存在の絵が浮かばなかったこと。VJしてる時は割と絵作り的な意味で言葉が出てくる映像を使いたくなるし、普段音楽を聴いている時は仕事のことも考えたり誰かのことを思い出したりもするんだけど、そんなことがまるで起こらず、ひたすら知らない(けどどっかで見たのであろう)景色や抽象的なオブジェクトなど、掴みどころのない映像が脳内に浮かんでくる。
まさしく言葉(=理性?)を失ったような感覚だった。そして普段、いかにがんじがらめに生きているのか…、みたいなことを思った。
(あと途中普通に音楽的にめっちゃかっこいいとこなどあって、そこもすごく良かった。)

終わりの方には少しだけ映像が、本当に微かに、実際にスクリーンに出てくる。あまりにもぼやんとしているのでこれはまだ自分の想像か?と見間違うほどだけど、前の座席の人の頭とかも見えたのであれは本物だったのだろう。
この演出も良くて、もし最後まで完全に真っ暗だとしたら、それは完全に観客にすべての解釈を委ねるような形になってしまうと思うんだけど(で、それはなんだか度が過ぎるってか「それ系」みたいに分類されてしまいそう)、最後にこの微かな映像を見せることによって、この作品が映画であることをしっかりと主張しているように思えた。

そして最後の音楽、あれはevalaさんのfuzzbox…?同じ音を使っているだけ?あの曲だったと解釈していいのか…?でもとにかく好きな曲なので興奮した。

以上、ともかく面白い体験だった。
集団で見ているのに、視覚が剥ぎ取られることで完全に一人になる。それなのに複数人で同時に体験して同じ時間を過ごしている。奇妙でロマンがある。これは従来の個室無音系インスタレーションでは体験できなかったことな気がする。(着席してるので暗視カメラ的なものを持参しない限り悪事も働けない…と思う)
シチュエーションがソリッドなので、ほぼ間違いなく全員、同じように頭の中の映像と向き合う体験をしたんだと思う。それでも使えるリソースは自分の記憶や想像力しかないので、絶対に同じ感じ方をした人は居ない。これこそサウンドアートの正しい姿のような気がした。そしてちょっとだけevalaさんの生きてる世界を体験できた…ような気がした。

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