アビダルマにおける修行の進み具合について2

とりあえず何が正しい論理化は納得した。
ここからが長い。いわゆる「修行」が始まります。修道位というやつです。

頭でわかってもやらかしていたら自爆します。
こっからは自爆しないように「感情のコントロール」を学びます。
上座は善の心所以外の感情無くす方向になります。

考え方としては、仏教では輪廻には以下の三つの状態があって、各々の状態、世界に貴方を「繋ぎとめて」おいている煩悩があるとします。
この煩悩があるので要するに自爆するようなことをやらかしていつまでも苦しい状態に「繋ぎとめて」おかれると考えます。
これはアビダルマ的に煩瑣な話が始まるので、ざっくりいうと、三つの世界というのは「欲望の世界(欲界)」「激しい欲望は無くなった美しい物質の世界(色界)」「精神性だけの世界(無色界)」です。これらに各々私たちを繋ぎとめている煩悩がある。これを消滅されれば解き放たれてそこからは自由になるし、そこにいる原因が無くなる(縁欠不生)なのでその輪廻の状態にはならなくなる、というわけです。

なお、たまに精神性だけの世界(無色界)を解脱と勘違いしてる人が居ますが、精神活動も消滅した状態が上座の「涅槃」ですから(灰身滅智)、精神性が残ってたら上座の解脱ではありません。残ってる、というのは「繋ぎ留められている」ということです。

実際に情動がコントロール、消滅されていなければいけない。
悟ったわかったというだけではだめで「できないとダメ」「できてないとダメ」なんです。

この点、上座は解りやすいは解りやすいです。出来て無きゃその境地ではない、終わり、です。
ざっくり参考で、我々を一番下位の「欲望の世界」に繋ぎとめている煩悩は邪見(間違った見解)と怒りと色欲(五欲)です。(五下分結)
つまりその人の行動を見ていて、これがあるなら「欲望の世界」からも解き放たれてない。いかに況や解脱をや、ということです。
自戒でございます。

これらを消滅させていき、精神性だけの世界(無色界)の一番上(有頂地)に繋ぎとめている煩悩まで消滅させると阿羅漢果、輪廻の解脱の完成です。なぜかといえば、もう彼には「繋ぎとめているもの」がないからです。

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