読書感想文(22)C・ブロンテ作、大久保康雄『ジェーン・エア 上巻』

はじめに

この作品を読むのは二回目です。初めて読んだ時の衝撃は、過去一、二を争うほど大きいものでした。高3の夏に読んだのが『和泉式部日記』ではなく『ジェーン・エア』だったら、自分は英文学科に進んでいたかもしれない、と思いました。初めて読んだのは去年の秋頃だったかと思います。友人が一番好きな作品だと言っていたのがきっかけです。自分の一番好きな作品を一つ選べと言われたら困り果てますが、少なくともこの作品はその候補に入ります。分量が多い事を無視すれば、他人にオススメする作品としては一番かもしれません。それほどこの作品が好きです。今まで何度かもう一度読み直そうと思いましたが、分量がそれなりにあることもあって躊躇していました(上下合わせて約1000ページ)。しかし先週からバイトが再開し、電車で読書の時間を安定して取ることができるようになったので読み始めました。今週はひとまず上巻まで読み終えました。尚、今回読んだのは新潮文庫です。

感想

「はじめに」で、何度か読み直そうと思ったが躊躇した、と書きました。分量も理由の一つですが、一番の理由は序盤を読むのがちょっと気が進まなかったからです。序盤の空気は暗く、主人公・ジェーンの境遇に対してどうしても苦しい気持ちになります。物語としては必要な場面であり、またそこから思うことも様々ですが、とにかく苦しかった記憶がありました。だから読みたいと思っても、序盤を思い出すだけでなんとなく気が沈んでしまうのです。

この作品の、特に上巻の主要なテーマとして「家族」というものがあるように思います。上巻は「家族」の話に始まり、「家族」の話で終わります。私自身、家族とあまり仲が良くないため、少し自分を主人公に重ねてしまいます。尤も、私はジェーンほど苦しい立場にもなく、また苦しい思いもしていません。しかしどうしようも無い理不尽に対する怒り、見捨てられる孤独感、そういったものに共感してしまいます。特に序盤が苦しく感じるのはこの為だと思います。一方、最後の場面については、まだ自分を重ねることができません。私は同じようは状況になった時、一体どう振舞うのか、何を思うのか、想像できません。想像してみたところで、現実とはかけ離れているように思えるのです。ただ一つ思うのは、ジェーンは「家族」から独立して強く生きている、生きていける、自分もそのように強く生きていきたいということです。誰からも理解されなかろうと、普通いるはずの味方がいなかろうと、自分の信じるところを信じて強く生きていく。その強さに私は憧れ、励まされます。ジェーンの強さは信念のみならず、何度打ち砕かれてもそれを乗り越えていくところにもあります。この点は下巻とも併せて思うことですが、上巻でいえばヘレンの話が挙げられます。上巻の最後にもこの回想は出てきますが、そもそも過去を回想する形で綴られるこの作品において、ローウッドで過ごす描写の大部分はこの時期です。この経験が主人公を強くしている、心の支えとなっているのだと思います。過去の絶望を乗り越え、糧として強く生きていく。その強さに私は憧れ、励まされるのです。

また、主人公・ジェーンの人柄に私はとても魅力を感じます。その主な要因の一つは彼女の率直さにあると思います。彼女は自分の信念に従って行動します。階級なども気にせず、ただ自分の信じるところに従って振る舞います。全てがそうではないとは思いますが、お世辞を言わず、考えた事を、伝え方を考えた上で伝えます。目上の人に対しても自然体であり、媚びへつらうことをしません。世の中、無駄な建前ばかりで嫌になることがありますが、その建前が比較的少ないのが惹かれる理由でしょうか。といっても礼儀やマナーといった所は弁えているので、その辺りの区別は難しいですが、要はやはり自分の信じる所に従って生きるところに惹かれるのだと思います。そしてその信じるところ、特に良し悪しの基準が自分と似ているのかもしれません。この基準が一致していないと、ここまで主人公に共感できません(又吉直樹『劇場』がこのパターンで、主人公の考えに終始イライラしてしまいました。逆に同じように共感できたのはジェーン・オースティン『高慢と偏見』の主人公・エリザベス)。自分の事を一度棚に上げますが、人は自分の都合の良いように善悪を判断しがちであると思っています。そしてその中でよくある例では、自分がやった悪事であれば他人も許す、逆に他人がやった悪事を黙認すれば自分もやって良い、といった事が挙げられます。こういった歪んだ判断基準がジェーンには無いように思います。この歪みを正して考えるのは難しいのかもしれませんが、できるだけ気をつけて考えるようにしたいと思っています。

最後に「愛」について。ただし作中では「愛」と表現されますが、私の定義では「恋」になります。とりあえず、少し長いですが本文を引用します(そのままだとちょっと読みづらいかなと思ったので意味の区切りで改行しています)。


読者よ、わたしはロチェスター氏を愛するようになったと言った。ただ彼がわたしに注意しなくなったのに気づいたからというだけでーーわたしが何時間も彼といっしょにいながら、しかも一度だって彼がこちらに目を向けないからといってーー

すれちがうときに、そのローブの端がわたしにふれることすら忌み嫌う人、何かのはずみに、その黒い尊大な目をわたしにとめることがあっても、見るにも値しないほどあさましいものといったふうに、すぐにそっぽを向いてしまうような人、そのような貴婦人に、彼がすっかり注意を奪われてしまったのを見たからといってーー

わたしはもはや、彼を愛していなかった以前の状態に戻るわけにはいかないのだ。


特に重要なのが最後の部分です。私はこの現象を「恋の不可逆性」と呼んでいます。恋の不可逆性は私が定義する「恋」において一般的な性質です。わかりやすく言い換えると、「恋は一般に不可逆性を持つ」となります。本文を引用したので説明は不要かもしれませんが、具体的に言うと恋が実らないとわかったところで恋は終わらないという事を意味します。念の為補足すると、恋が終わらないというのは恋を実らせようとし続けるという意味ではありません。むしろ無理に恋を実らせようとする事はもはや恋ではありません(∵「好きな人の幸せ」に反する)。ただその人に対する「好き」という気持ちが消えないということです。では恋はいかにして終わるのか、などという疑問が出てくるかと思いますが、詳しく説明し始めるとキリがないので詳細はまた機会を改めようと思います。ともかく、ジェーンの「愛」は恋の不可逆性を持つことがわかり、この点で私の定義する「恋」と一致します。そしてこれに従って、ジェーンは恋人でなくともロチェスター氏に献身しようとします。このような精神の清さをいつまでも持っていたい、と私は思っています。それによって周りと比べて損をすることがあるかもしれません。それでも周りがやっているから自分がやっていいという事にはなりません。仮に周りがやっている悪事を自分が行うとしても、それは自分の信念に従って行うようにしたいと思っています。もっと以前からこのように思っていた私は、この作品を読んでどれほど勇気づけられたことでしょう。ただ自分の信じるところに従って行動する、というのは坂口安吾の作品を読むようになってから言語化することができた、私の指針です。それをより具体的に描いて勇気づけてくれたのが、この作品です。

おわりに

この作品は上下巻なので、まだ下巻が残っています。その中でも既にいくつか印象深いエピソードが思い浮かんできます。来週は下巻を読んで、また感想を書き残したいと思います。

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