読書感想文(16)シェイクスピア作、福田恆存訳『じゃじゃ馬ならし 空騒ぎ』

はじめに

この本は自粛に向けて買った本のうちの一つです。シェイクスピアの福田訳(新潮文庫)もあとは『ヴェニスの商人』くらいでしょうか。なんとなくコンプリートを目指すような、そういう気持ちになります。

「じゃじゃ馬ならし」の感想

まず驚いたのは序劇の存在でした。これまで読んだシェイクスピアの作品ではこんなものは無かったと思います。最初はこの序劇がもう「じゃじゃ馬ならし」なのだと思っていたのですが、読んでいて「ここからじゃじゃ馬ならし」となった時は混乱しました。この序劇は「じゃじゃ馬ならし」とセットになっていて、序劇の登場人物が「じゃじゃ馬ならし」を観劇するという構成になっています。こういうのを見るとやっぱり劇なんだなぁと思います。ある意味「じゃじゃ馬ならし」は劇中劇となりますが、これによる影響として序劇の劇中人物が観客と同じ立場で観劇するということはなかなか面白いなと思います。しかし、どうやら時代の流れによって底本の序劇は簡潔になりすぎてしまっているそうです。元々はもっと序劇の役割があったかもしれませんが、中途半端なので現代の劇では省かれることもあるそうです。逆に後半を補ったものもあるそうで、いつか観てみたいなぁと思います。

またこの序劇の登場人物は二回目の登場の時は観劇中に寝てしまっています。こういうのを見ると、コンサートとか劇とか暗い所で眠くなるのって昔からあるんだなぁと思います。ちょっと似たようなことが実は「堤中納言物語」にもあって、宮中で管弦の遊びがある時に退屈している人もいることが書かれています。平安貴族って全員雅なイメージがある人も多いかと思いますが、やっぱり趣味の合う合わないは昔からあったんですね。こういうことから想像すると、昔の人も今と変わらない部分が結構あるなぁと思います。

さて、この「じゃじゃ馬ならし」ではタイトルの通りじゃじゃ馬を馴らします。じゃじゃ馬なのは女性で、ある男がその女性を手懐けます(というとちょっと酷い言い方ですが、うまく表現できません)。最終的には手懐けてしまうのでめでたしめでたしとなるわけですが、現代の価値観からするとちょっとモヤモヤが残ります。というのも、最終的に女性は男に従うのが良い、という所に話が落ち着くからです。結末が男尊女卑の価値観をこの上なく表しているように思います。勿論、価値観が違うことは重々承知ですが、それでもちょっとモヤモヤします。またこのじゃじゃ馬をならすために男は晩ご飯を抜いたり夜眠らせなかったりと酷いことをするのもモヤモヤします。

しかし解説によると、強情な女性がさらに強い男によって女性らしくなるといった見方もあるようです。つまり潜在的には強い女にも男に頼りたいという女性らしさがあり、その心を見事に開かせたといった感じでしょうか。なるほど確かにそう言われてみるとそんな気もします。まあそれも現代の価値観とはやっぱり合わないとは思いますが、「頼りがいのある男」というのは現代的にも考えてみると面白いだろうなぁと思いました。

またこの作品はじゃじゃ馬をならす物語の筋と同時に、表では別の恋の物語が進みます。そもそもこのじゃじゃ馬をならすための筋は、別の恋の物語を発端とします(妹が求婚されるが、「姉(じゃじゃ馬)が結婚するまでは妹に結婚させない」と父が言ったため、妹の求婚者が姉を別の人と結婚させます)。タイトルからしてもじゃじゃ馬の筋がメインのように思われますが、妹の恋の方も変装やなりすましなど話が凝っています。こういう二つのストーリーが同時並行で進んでいくのは日本の古典でも(先ほど出てきた「堤中納言物語」でも)出てくるのですが、大体対照的で面白いです。


空騒ぎ

「空騒ぎ」を読んでみると、「喜劇?」と思いました。途中、主人公が求婚相手の裏切りを結婚式の日に暴露する場面など、悲劇のような悲しさを感じました。すると解説にも似たようなことが書いてあり、シェイクスピアは悲劇と喜劇の境界が曖昧というか、つまりどちらに転ぶか途中でわからなくなるようなところがあるようです。確かに最後はめでたしめでたしのような感じがしますが、途中からアナザーストーリーができてもおかしくない調子になります。ただ全体を通して見ると、そもそも求婚がなりすましから始まり、しかしなりすましていることが相手に実はバレているという場面があるなど、確かに茶番のような展開があります。なんとなく自分でも何を考えているのかよくわかっていないのですが、喜劇というのは観劇が難しいのかもしれないなぁと思います。というのも、歌舞伎の「魚屋惣五郎」を観た時も似たような気分になったからです。これは魚屋の娘が殺されてしまったという悲しい場面から始まり、父がそれを殿様に訴えに行くのですが、父が酔っている上に様々な勘違いをして、道化のような役割にもなります。しかし劇中場面でいうと真剣であり、娘を殺された父も真剣に見当違いなことを言うので、面白いはずの場面が面白いのかわからなくなってしまいます。しかもその演技がまた真に迫るものがあり、演技力に圧倒されました。この「空騒ぎ」も実際に観てみるとそんか感じなのかなぁと思います。毎回書いているような気がしますが、シェイクスピアの作品を読むと劇で観たいなぁと思います。DVDなんかもあるようなので、いつか観てみたいと思います。

さて、「空騒ぎ」でも強情な女性が出てくるのですが、最終的にその女性も男と結婚します。こちらは「じゃじゃ馬ならし」と違ってツンツンしたそのまま結婚するのですが、その二人のやりとりの中で一つ目に止まった台詞があったので残しておきます。

「お黙り、その口を塞いであげよう」

これは女性が男に軽口を叩いたのに対する男の返しです。このセリフでときめけるなんて、まだまだ若いなぁなんて我ながら思います。

この男女の話はまた別の筋になるわけですが、これもなかなか面白かったです。男には「女が男を」、女には「男が女を」好きであるらしいという噂を立ち聞きさせます。そうするとお互いに好きではないはずなのに、お互いに「相手は自分のことを好きなのだ」と思って接します。そうして自分も相手の事を好きになって(というとちょっと短絡的ですが)、結局結婚します。相手が自分を好きだということを知ると自分も相手を好きになってしまう、みたいなのは聞いたことがあります。実際にどうなのかはわかりませんが、それを題材にした劇というのは観客の立場としても観ていて面白いだろうなぁと思いました。

おわりに

今回の二作品は共に言葉遊びが盛んでした。日本語に上手く訳しているなぁと思うものもあればよくわからないものもありました。そこに難癖をつけるつもりは全くないのですが、今回は特に言葉の応酬が盛んだったのでわからないのが残念でした。二人の強情な女性も、機知に富んでいて切り返すような感じだったので、やはりそこを理解できればもっと作品を味わうことができただろうと思います。また、切り返しというと日本の古典文学でいうと和歌のやりとりでありますが、大抵1,2回のやりとりになります。しかしそれが何度も続けられていくのは劇ならではなのかなと思いました。

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