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ナンちゃんを思い出した。


誕生日だった。ナンちゃんから、おめでとう!とだけ連絡が来た。別に来ないだろうとも来るだろうとも思っていなかったが、くれるんだ、と思った。お母さんに、ナンちゃんまだあなたのこと好きなんじゃないの?と言われたが、好きとか、ヨリを戻したいとか、今度会いたいとか、そういう言葉を後ろに隠したハッピーバースデーなんかじゃなくって、私が産まれた日だから、おめでとうと言っておかなきゃなと思って、ただおめでとうだけを言いにくるような人だと知っていたから、それはないよと返した。案の定ナンちゃんはおめでとうの言葉をきっかけに何かを打診してくることもなく、連絡は本当にそれだけだった。
時々たまに、無性にナンちゃんに会いたくなった。ナンちゃんと過ごしていた大学生のときを思って、涙がでてくることもあった。ナンちゃんが目の前に現れて、ナンちゃんの胸の中で深呼吸をして、もう大丈夫って思いたい、と何度も想像した。でも、だからといって、私にもうナンちゃんに対しての恋心はないと分かっていた。この連絡がきたときも、感じたのはただの大きな安心だった。私はナンちゃん自身が恋しいのではなく、ナンちゃんといたときの自由な私や、未来に夢見ていた私や、ナンちゃんが与えてくれていた安心する環境を今でも恋しく思っているだけだ。そして、私が会いたいのは、最後の1年間の、私に疲れてしまったナンちゃんでなく、もっと昔の、私をたくさん愛してくれたナンちゃんだ。もっと本当のことを言うなら、高校生のとき、長袖を捲って頬杖をついて、気怠げにしていたナンちゃんだ。私は、高校生の彼には、今でも恋をしている。恋はどんどん薄れていって、最後の方はナンちゃんを見て胸がきゅんとすることは無くなってしまった。でも、高校生の彼や、大学生の彼が別の人みたいにずっと心に残り続けていて、でももういなくなってしまって絶対に会えないから、今の彼を思うと少し切なく、恋しいように感じるんだと思う。
でも恋が薄まった後もナンちゃんの安心感は健在で、梅干しをみるとだくだく涎が出るみたいに、ナンちゃんをみるだけで、身体がふっと安心に包まれた。
別れたあとに体調を崩したとき、神奈川の真ん中の一人暮らしで誰にも頼れず、もう無理だと思ってナンちゃんに連絡をしたことが二度ある。一度は吐き気でどうにもならず、病院に連れてってと夜の8時に電話をした。ナンちゃんは来てくれて夜間病院を探してたくさん電話をかけて、病院で私が吐き気止めを点滴してもらっている間、夜11時まで私を車の中で待った。そして私の家まで私を送り、明日仕事だから帰るねといってすぐ帰った。二度目はインフルエンザにかかったときだったか、高熱が出ていて、友達と遊んでいたナンちゃんはその友達と一緒に来てくれて、色々な食べ物と冷えピタと薬を買ってきてくれて、置いて、少し私に食べさせて、帰った。見返りを求めない姿に、苦しくなった。きっとナンちゃんは私をもう好きじゃなかったけど、情と神奈川に連れてきてしまった責任みたいなのはすごく感じていて、その責任を果たすために、私を看病しに来ていたんだと思う。
ナンちゃんは私が実家に帰るといったときすごく安心していて、それがいいよと言って、私も私の面倒を見るという責任からナンちゃんを解放してあげられることに安堵した。

私は昔よく、ナンちゃんを呼ぶときに、「私のナンちゃん」と「私の」、をつけて呼んでいた。(今思い出しても傲慢というか、独占欲が滲み出た呼び方である。ちなみにナンちゃんは「僕の海ちゃん」と言ったことは一度もない。)

もう「私の」がつかなくなったナンちゃんが、今「誰かの」であるのか、それともそういうしがらみから解き放たれて、ただの「ナンちゃん」であるのか分からないが、とにかく「私の」、ではなくなったことを、嬉しく思う。

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