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⭐️心の学び:真理をかぎ取ってくれる人を待つしかない

人間一人が自分の観る世界観を信じ切って生き抜くことは簡単ではないことは誰もが経験することだと思う。

自分の都合に合わせた生き方ならほとんどの人が実践しているが参考にはならない。

生きることについてアートから学ぶことができないかとぼくは考えることがある。
優れたアートに共感するのは「美」ではなく「真理」を観るからだとぼくは思っている。

アート写真家のデイヴィッド.ベイルズらは、著書の中で

「判断せず、必要性も不安も感じることなく、願いや希望ももたずに、ただあなたはその作業をはっきりと見ればいいのです」

とアートの仕事について述べている。そうすることの理由は、

「幻想に基礎づけられた期待は、たいていの場合、必ず幻滅に向かいます。」
ということだ。

自分に従うこととは「期待」を排除することが必要だという。これはぼくが何度も「期待と思い込み」が苦悩を生み出すという見方と同じだ。

ぼくには描きたい絵があるが、それを描いたとしてもすぐには受け入れられないはずだ。

そういった判断も不安も必要がなく、迷いなくやるべきことを為し自分の真理の世界観を表すことだ。

こういったことを生きることに当てはめるとどうなるだろう。
孤独にはならないと思うが孤立するかもしれない。おそらくそうなるだろう。
と、こういった判断を抜いて自分のやるべきことをやり続けるということだ。

そんな中で最も重要なのは、真理であるかどうか、真理が含まれているかどうかである。

それが含まれていなければ努力の時間は徒労となり病的な状況に陥るかもしれない。

ほとんどの期待は幻想なのは確かだが、だからといって投げやりになったり諦め気分で過ごすのではなく真理に従うことだ。

真理をかぎ取ってくれる人は必ずいるはずだ。真理は誰もが究極的に求めるものであり、また、一人だけのものではないからだ。

真理に従って生きることは、巷で言われている他人と隔絶したように言う「自分軸」とは違う生き方であることはなんとなくわかると思う。

「真理って?」という問いには人間を知ることだとしかいえない。

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