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修論を通して私たちが鍛えている8つの力

多くの大学教授が「博論はいいけど、修論はもう二度とやりたくない」という。あの凛としてクールな風をまとう教授でさえ、修論提出前は二重が三重になるほど苦しんだという。

それほど苦しみ抜く修士論文の執筆を通して、我々はどんな力を身につけているんだろうなと考えてみた。自分の場合はグロッキーになるほどまだ苦しんでいないから、そんな中途半端ながんばりから得られるものはさほど多くないのかもしれないけれど。

まあ、力がついているかはさておき、修論ではこんなことを訓練してんじゃないかなというのはあって。たとえば筋道を立てて説明する、点と点を線でつなぐ、問題意識をもってそれを解きほぐす、自力と相談のバランス感などなど。

よく考えてみたらこれは全部ライティングの仕事をする中で鍛えてきたことに通ずることだなと。修論にあえぐみんな、きっとこれはこれからの人生で生きてくるよ。だから折れずにともにがんばりましょう。

①筋道を立てて説明する訓練
論理の飛躍があってはいけないし、前の部分で述べていないことについて述べてはいけない。

②一見離れている事柄を関連付ける訓練
何らかの一貫性とか繋がりを見出すのが仕事。点と点を線で繋ぐ、みたいなこと。

③問題意識をもって、その課題を検証するための方法を編み出す訓練
自分でテーマを見つけてくるところから始まって、そのテーマに迫るために一番妥当な検証方法を考える。

そして具体的にどんなふうにデータを集めて、どういうふうに分析するのか。
さらに、それを突き詰めた先に、どんな学問的意義・社会的意義があるのだろうかと、今までの研究/今の社会情勢と、自分のテーマを突き合わせながら問う。そこまで答えられなくちゃ論文が書けない。
(適切な問題意識を持つためには時代の流れを読むことも必要だね)

④「自力でがんばる」と「頼る」のバランス感を知る訓練
修士の研究は、どこまでは自分で頑張ってみて、どこからは指導教官に頼るのかさじ加減を知るよい機会でもあるのかもしれない。

わからないから教えてくれといったって、学生のとったデータを1から10まで眺めるほど大学教授は暇じゃない。何がわからないからどんな情報が欲しいといえるくらいに自分の分からなさを明確にしてから相談しなきゃいけない。

”分からないことが分からない状態を何とかする術を知らない”というイグノアランスレベルの下から2番目にいるときでさえ、参考になりそうな資料をもっていくとか、データの気になっている部分を要約していくとか、努力した痕跡は見せなきゃいけない。

どうしたら「しゃあないから知恵を貸してあげよう」という気持ちになってもらえるかを修論生は必死で考える。そしてうまく頼ってお知恵を拝借し指導教官を共同研究者に巻き込んでいくのだ。

⑤自走する訓練
これは③に結構近いのかもしれないけれど、ニュアンスとしては、ひとつのアドバイスでどこまで遠くまで走りきれるかという話で「グリコ一粒で300m」みたいな感じ。

1を聞いて瞬間的に10を知ることができる必要はないけれど、もらった1を10に膨らませられるだけの調べる力であったり、考え続ける持久力みたいなのがいる。あと馬力。

馬力のある人が注意したいのが、方向性を間違えないこと。馬力があって遠くに行ける分だけ、間違った方向に行ってしまうと修正に限りなくエネルギーがいるので、面倒でも2度の確認をしよう。

⑥研究テーマというメガネを通して、物事に関わる姿勢をもつ訓練
食事中、入浴中、雑談中など時と場所、状況を問わず、執筆中の論文のテーマのことがぼんやりと頭の片隅にある。注意は常に研究テーマに固定したままなので、研究テーマとは一見距離のありそうな情報を見たり、体験をしてみるとその間のところで興味深い気付きが起こる。

例えば「発達による感じ方の違い」といった研究テーマの修論生がいるとしよう。ある日彼女が、モンシロチョウのオスとメスの色が違う、そして虫はそれを識別できても人間は識別できないんだ、という事実を知ったそのとき、「感じ方のいろいろ」というテーマが頭に張り付いたままだとどうなるか。

感じ方が生物によって異なるんだから、人の間でも異なっても不思議じゃないしむしろ当たり前だよなあ…という気づきをもつ、とか。あんまいい例えじゃないかもだけどそんな感じ。そして彼女は気付きを自分の論文へと反映させる。

意外なところからやってくるアイデア。こういうのをセレンディピティというのだろうか。

⑦反省と言い訳をして次の課題を作る訓練
修士で研究できる時間なんて研究職に就いている人たちに比べたらとんでもなく少ないわけで。その少ない時間の中でも、自分が明らかにできたこととはある。誇りに思おう。そして明らかにできなかったたくさんの積み残しを後輩たちにぶん投げられるように、きちんと言葉にしておこう。具体的なアプローチ方法も書いてあるとなおよし。

⑧自分の限界を知って、完璧主義を捨てる訓練
完璧にやり遂げたいと思うけれど、満足のいくものが出せなくて苦しむことは多々ある。ここでザッカーバーグの言葉が身に染みる。研究室のPCの前に常に貼って言い聞かせる。

「完璧を目指すより、まず終わらせよう(Done is better than perfect)」と。
文法がおかしくても多少論理の飛躍があってもまずは書けと。編集していくのはそのあとよ。すぐに飛んで行ってしまうアイデアなんだから、思考の痕をまず残すことが大切。

すっかり書き終わった人っぽい風を吹かす文章を書いたわけだけれども、まだまだ道半ば、5割しか書けてません。

提出まで、あと24日。

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