無性に。

大学時代の彼はコテコテの広島人でした。

広島カープの応援に魂を注ぎ、
毎年終戦記念日には早起きをして正座をし黙祷する。
「男たちの大和」を映画館で見たときには人目もはばからず号泣。
その姿にハタチになるかならないかの私は、若干ひいてしまっていたこともありました。
私の心の中にはない感情を持っている彼を見ていたので、私の中に、
「戦争は広島と長崎、沖縄の人のもの」くらいに客観視してしまっている部分が長い間あったと思います。

それが違うと気づき始めたのはだいぶ後になってからの話です。

イギリスへ向かう飛行機の中、エコノミークラスの小さな画面で、
私は必ず日本の映画を見ます。
「最後の忠臣蔵」という映画を見て、CAさんに心配されるほど泣きました。
それ以降、日本の映画に心を洗ってもらえるような、
チャラい意味で「日本の心を忘れちゃいけない」ような、映画を見るくらいで、そんな気持ちになれることが心地よかったのだと思います。

そして、別の渡英の日に見た「永遠のゼロ」。
きっと、数ある邦画の中からランダムに選んだわけではなかったでしょうが、衝撃が強すぎて。
でも、もう一度、もう一度、知りたくて、イギリスからの帰りも同じ映画を見ました。
この映画を見たときくらいから、忙しさにかまけて、熱が冷めたりもありましたが、特攻隊の方の遺書を読んだり、特攻隊が飛んで行かれた「知覧」のことを調べたりする時間が多くなり、アラサーにしてやっと、戦争に現実味を感じるようになったのです。

知覧からは400人以上の英霊が日本を守るために飛んでいかれました。
不時着で助かった元特攻隊員さんが「生き残ったのにはわけがある」と
早期退職までして、何十年もかけて遺族一人ひとりを周り、全員の遺影や遺品を集めた平和資料館があります。
必ず行きたいと思いつつ、行っていないのにはわけがあり・・・

知覧は、沖縄の戦争を少しでも遅らせるためにと選ばれた場所なので、
沖縄に近い鹿児島にあります。
鹿児島、それは、坂本龍馬が日本で初めて新婚旅行をした場所です。
私は小さい頃から「坂本龍馬と同じ場所で新婚旅行をする」という「予定」があり、鹿児島だけは何が何でも行っていないのです。
ですので、いつかの新婚旅行で知覧にも行くことに(勝手に)決めました。
その新婚旅行の道中に、知覧から飛ばれた「穴沢利夫」さんと言われる、
おそらく特攻隊を一度でも調べたことがある方なら知っている(もしくは穴沢利夫さんと知らずに見たことがある)有名な写真(桜の花を持った女学生に笑顔を返して出撃していく写真です)の主人公の、
婚約者だった方のインタビューで書かれた「知覧からの手紙」という本を読むことにしています。
こんなに関心があるのになぜ読まないかというと、
グーグルやSNSからの情報だけで、涙を使い果たしてしまった私。
この本を読んだら、生活を脅かすほど精神に異常をきたすことが分かっているからです。
明日仕事があるようなときに読んでは大変なことになるでしょう。
新婚旅行の途中なら、ごまかしがきくのではと思ってのことです。
本当は、今すぐ読みたい。

穴沢利夫さんのことはもっと調べて再度記録に残したいのですが、
彼が最後に婚約者の智恵子さんに書かれ、検閲を逃れて届いた遺書の最後に、
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今更、何を言うか、と自分でも考えるが、ちょっぴり慾を言ってみたい。

 一 読みたい本「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
 二 観たい画 ラファエル「聖母子像」 芳崖「悲母観音」
 三 智恵子 会いたい、話したい、無性に。 

 今後は明るく朗らかに。 自分も負けずに、朗らかに笑って征く
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というのがあります。約束通り、笑って征かれた写真が残っています。
こんな文章を読んでしまうと、今どきの恋愛ドラマなんて本当に見れなくなりました。(ちなみに私が最後に見たドラマは「仁」)

彼女のマフラーを巻いて突撃した穴沢利夫さん。
最後の「無性に」という3文字。
この3文字に彼の魂が宿っている気がして、
この3文字に出会ってしまった私は、
この3文字にとりつかれたかのように、自分のことよりも
智恵子さんさえ幸せな人生を送ってくれたのであれば…と思ってしまいます。
でも智恵子さんは世界で一番愛された人かもしれません。

2013年に亡くなられた智恵子さんを生前何度かテレビで拝見しました。
未だに23歳のままの利夫さんのことを大事に大事に生きておられました。

私は正直、天国とか死後の世界とか、信じるクチではありません。
でも、智恵子さんだけは、智恵子さんだけは、どうか、どうか天国に行って、利夫さんと今、幸せに、一生幸せに、過ごしていてほしいと願っています。

そして、彼女たちのことが書かれたお話が、正常な心で読めない予測ができる今、
せめて利夫さんが、最後に読みたいと言われた本を、少しずつ読んでみようと思うのです。
その中には、利夫さんが、智恵子さんに送った本もあるようで。

大学進学率が10%に満たない時代に、中央大学に進学して法律を勉強していた途中、学徒出陣させられる運命になってしまった利夫さんと智恵子さんの、知的で心美しいお付き合いを想像すると、それがもう余計に悲しく・・
月並みな言葉になってしまいますが、今の時代がどんなにぜいたくで甘やかされているものか振り返ると、申し訳なさでいっぱいになってしまいます。
文字通り命をかけて日本を守ってくださった方たちに対し、どのような生き方をすれば、少しでも喜んでもらえるのか、それを模索したいと共に、
その時代を生きた方に、その答えに少しでも近いところにいけるお話を聞きたいと思う今日この頃です。

穴沢利夫さんは福島の生まれでした。
戦争は沖縄・広島・長崎の人だけのものではありませんでした。
日本の全ての人が、沖縄を守るため、家族を守るため、日本を守るため、
巻き込まれました。
そんな当たり前のことを、恥ずかしながら、今さら、ゆっくり、
お勉強させていただいています。

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