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政治が関わる社会問題、自然災害の「痛み」について

 石川県能登地方を震源とする地震で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。一日も早く平穏な時間を取り戻せますように、お祈りしております。

 石川県は原発事後にボランティアでご一緒した方々がお住まいなので、とても心配しております。私個人としては、その繋がりでできることをしていこうと考えています。
 国内で大きな自然災害が起きたのに、パレスチナ問題について触れていいのか。そう迷われている方がいるかもしれないと思い、とりいそぎ自分の考えを書きます。

1. 東日本大震災の経験 ―地震・津波・原発事故―


 私は2011年3月に起きた東日本大震災のあと、原発事故の影響を受けた子どもさん・保護者さんを対象としたボランティアをしていました。詳細は著書にまとめているので割愛します。(『原発事故後の子ども保養支援―「避難」と「復興」とともに―
 東日本大震災は、地震・津波・原発事故の複合災害でした。
 私は当事者のニーズから出発し原発事故に関わるボランティアを始めたのですが、当時SNS上で「そんな暇があるなら津波の瓦礫撤去に行け」とよく言われました。
 とくに原発事故は政治が関わる複雑な問題だったので、「自分は思想のために支援をしているのだろうか」と津波支援をしていないことへの強い罪悪感を持っていました。その後、8年以上働きながらボランティアを続けました。

2.「痛み」を比べなくていい


 2017年に、仙台から福島へ取材に来てくださった記者さんがいました。
 記者さんとの雑談のなかで「宮城にぜひ遊びに来てください」と言われました。私が「震災直後に津波支援をしなかった罪悪感があって…」と話すと、記者さんは「一人の人間がすべてを行うことはできないですよ」と優しく微笑んでくれました。
 その後、津波の被災者の方とお話しすることがあったときも、「いま考えれば原発事故にあった人たちは何も言えなくて辛かっただろう」というお話をされていました。
 13年近く経って、さまざまな当事者の方のお話を聞いて思うのは、津波も原発事故もどちらも重要で大切な問題だった(である)のだと思います。どちらが辛いか、どちらが優先されるべきかという議論自体が、人の「痛み」に序列(順番)をつける思考の枠組みにハマってしまっていたのでしょう。
 私は自分の子ども時代の経験上、「子どもが傷つけられる、子どもが殺される」というイメージに強く反応します。自分のことのように痛みを感じて行動します。一方で、路上生活者支援や基地問題など全くフォローできていない社会問題も多くあります。友人や知人たちが、そういった活動をしてくれていることに深く感謝しています。

3.パレスチナ問題は、「私」にとって特別な存在になった

 今回、イスラエル軍によるパレスチナでの虐殺に対し強い怒り・悲しみを感じられた方は、その人オリジナルの理由やきっかけがあるのではないでしょうか。
 『星の王子さま』という物語で、キツネが出会ったばかりの星の王子さまに対してこう言う場面があります。

「きみはまだ、ぼくにとっては、ほかの十万の男の子となにも変わらない男の子だ。だからぼくは、べつにきみがいなくてもいい。きみにとってぼくは、ほかの十万のキツネとなんの変わりもない。でも、きみがぼくをなつかせたら、ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる。きみはぼくにとって、世界でひとりだけの人になる。ぼくもきみにとって、世界で一匹だけのキツネになる……」

(サン=テグジュペリ『星の王子さま』河野万里子訳、新潮文庫)

 ある社会問題に対して何かを感じて指一本でも動かしたら、あなたにとってその社会問題は特別な存在になるのだと思います。もちろんそれは他の社会問題や自然災害より優先されるべき、というわけではありません。序列(順番)ではなく、ただあなたにとって特別なのです。
 誰かの「痛み」へ共感して行動することは、本来は別の誰かの「痛み」を排除することにはつながりません。ですので、パレスチナでの虐殺に反対する行動は、緩める必要はないと思います。

4. どうやったら「痛み」を分かち合えるか


 一方で、当たり前ですがいま被災地でスタンディングをしても、共感を得ることは難しいと思います。私は阪神大震災を経験した神戸でスタンディングをしているので、表現方法を検討しています。
 災害援助の技能がある方や募集に応じて被災地ボランティアに行ける方は、被災地支援を優先することを選択されるのが良いと思います。一人の人がすべての社会的な活動にコミットするのは難しく、“みんなで手分けして一緒にがんばる”のが大切です。寄付も始まっているので、それぞれの方々の思いで動かれると良いと思います。
 もしスタンディングデモをしていて、「被災地に行け」と声をかけられることがあったら、私は「私も被災地のことが気になっているので、一緒に手分けして考えませんか」と対話するつもりです。

5.たこを揚げつづける

 パレスチナのガザ地区の子どもたちは、2012年から毎年、東日本大震災の復興を願いたこ揚げを続けてくれていたそうです。
東日本大震災12年 パレスチナ・ガザ地区で復興願いたこ揚げ」(NHK NEWS WEB)

 占領されて自由に行き来できない中で、12歳の女の子が「日本の子どもたちの幸せや成功、それに日本の人たちが平和に安全に暮らせることを願っています」と話してくれていたのです。これは2023年3月の記事ですが、いまその子は生きているのだろうかと私は考えてしまいました。
 今回の地震でも、パレスチナの人々は日本に対して心配の声を上げてくれています。愛国的になるのは好みませんが、私は先に「痛み」に寄り添ってくれたパレスチナの人たちに、お返しがしたいとも感じています。
 パレスチナでは、今日もイスラエル軍による虐殺が続いています。子どもや民間人の大量虐殺が起きています。私はやはり「虐殺」にNOと言いたいです。
 それが私にとって、殺害されたパレスチナ人作家Refaat Alareerさんが「If I must die」(※)で求めた、たこを揚げるということだと感じるからです。
 それぞれの場所で、それぞれの課題を、一緒にがんばりましょう。


※ネット上で様々な日本語に訳されているのでぜひ読んでみてください。


文責:疋田香澄


1月2日追記: 私は下記のような経緯と考えで活動しています。