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妄想ノート①

例えば、何回かデートし、肌を重ね合わせている男性がいたとする。

だけど、男性の方から「付き合ってください。」とは言われていない。

「かわいいね。」は言われたことがあるけれど、付き合っているかは曖昧。

そんな男性に、「ねぇ!私ってどんな存在なの?」って詰め寄る勇気はない。

ただ、肌を重ねる回数が増えていくほど、その男性の「恋人」になりたい気持ちは募っていって、モヤモヤする…

男性には言えないモヤモヤも、女友達とビールと焼肉があれば、サラリと言葉にすることができたとする。

女「ねぇ〜。私、付き合ってっていわれてないけど、これもう付き合ってるも同然だよね!?」

友「ん!?まぁ〜そうだね。」

女「そうだよね。定期的に連絡来るし!」

友「それは、もう恋人なんじゃない?」

女「そうだよね。じゃあ、もう恋人って名乗ろうかな!」

友「いいんじゃない!?外堀から埋めてくの大事だし、もしかしたら向こうももうそう思っているかもよ?」

女「だよね!!じゃあ、私は今日から〇〇くんの恋人って名乗りまーす。」

と、晴れて女は「自称・恋人」を名乗ることになった。ついにその男性とどうゆう関係にあるかを表す「肩書」を手にいれた訳である。

それからは、共通の知り合いから「あいつとどうゆう関係なの?」と聞かれてもスムーズに「恋人」と答えることが出来て、それまでのようになんと答えていいかためらうこともなくなった。女は満足だった。

ただ、男に「ね、私達もう「恋人」だよね?」と一回聞いたら、なんだかはっきりせずにうやむやにされてしまった。

心がざわついて、それ以降、自分が「恋人」かと聞けなくなった。

一番恋人だって言って欲しい人に「恋人」って言われずに、いつまでも自分で「恋人」と名乗り続けるのは辛いことだった。

(こんなの恋人じゃない…。)

そう思った女は、「私達恋人じゃない。それなのに、こうゆう関係は間違っていると思う。」と男にはっきりと言ってみた。

男はあっさりと「あ、そう。じゃ、これっきりということで。」といって去っていった。

あっけなかった。

じゃあ、私は彼にとってなんだったのだろう。彼にとって、自分がどんな存在だったか、今度は「肩書き」をつけたくはなかった。

(一言)

肩書って、自分で名乗ることも誰かからそう呼ばれることも両方できる。
どちらが正解とか不正解てことはない。
だけど、自分を自由にする肩書と、不自由にする肩書はあると思う。

どちらにせよ「肩書」って自分が相手との共通項を見つけて、会話のきっかけや相手も知るきっかけになるものにすぎないと私はちらりと論争を見て思うのであった。


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