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後悔なんて忘れた。

一瞬で、たった一瞬の差で、タイミングを逃してしまうことがある。

例えば、乗ろうと思った電車に乗れなかったとき、

会いたい人にすれ違った時

話しかけたいと思った人に話しかける勇気がなくて踏みとどまってしまった時

そんな一瞬が生み出す誤差がやらなかった後悔を生み出すのだけれど

やればやったで、どうしてあんなことしてしまったんだろうかと後悔することもあるので、

結局どっちも後悔しているのである。

やらなかった後悔よりやる後悔というけれど、どちらにせよ後悔しているなら、

まぁ、仕方ないよね〜位に笑って水にサラっと流しちゃう位が丁度いい。

母は、数日前にお気に入りのピアスを片方どこかに落としてきてしまったという。行った所を隈なく探してみたけれど、なかったらしい。

確か、私が使わなくなったものを譲っただけで、私が買った位だから1000円もするものではないと思う。下手したら500円しないかもしれない。

紫色のガラス玉が付いたぶらさがりタイプのもので、よくありそうなのに探すと同じものがみつかりにくい(ことをインターネットで探してえた実感)一期一会的なものだった。

片方あるのだから、もう一方はパールかなんかを付けてアシメトリーなオシャレを楽しめばいいのにと思ったけれど、やっぱりペアで付けなくちゃダメだという。

数百円のピアスに凹んでいる母に、ちょっと呆れつつ(本当は内心可愛いと感じたことも書いておこう)一緒に探したりもしたけれど、やっぱり出てこない。

こうゆうのは、ある日ひょんなところから出てきたりするものだからなぁ〜なんて考えていた(私は、なくしものは多いタイプだけれど、特定のものはなぜかなくさないので、人と同じでモノにも出会いと別れがあると思っているけれど、それはいつかの時にかければと思う)。

ピアスをなくした翌日、母は上機嫌で帰ってきた。

なんだろう。もしかして見つかったのかなと思っていたら、なんとお惣菜が半額で買えたのだという。

それに加えて、バスチケット(バスの割引券らしきもの)が初めて付いたんだという。

それが嬉しかったらしい。清々しいくらいピアスのことを忘れていた。

うん。そんなカンジがいいよね。何事も。

そんな母の楽天的な血が私に流れていて、ラッキーと思う母の日なのであった。


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