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女子力・・・幸せなひとは決して読んではいけません💕その1

他人の思想信条に口をはさむのは面倒くさいものだ。特に考えが異なる場合には、いゆわる「そっ閉じ」をするとか、スルー力を発揮するのがベターな対応だとは思う。

しかし、長く生きてきて、つくづく、疲労困憊することもある。例えば、「女子力」という言葉である。

私の若い頃は昭和であったので、女性は24歳までに結婚するのが良いとされていた。25歳になると「12月24日にはバカ売れするクリスマスケーキが25日になると投げ売りされる」ところから、「売れ残りのクリスマスケーキ」と誕生日に嘲笑されたものだ。

若い人に説明だが、当時は食料の保存管理能力が今より一般的に低かったので、クリスマスケーキ自体が「バタークリーム」という日持ちのするクリームで装飾されていた。味が濃くて子供でも少しもたれるクリームなのだが、当時は甘いということに価値があったので、バタークリームのデコレーションケーキは贅沢なお菓子だった。生クリームのものもあったのだろうが、稀で高価であったので、我が家では子供時代のクリスマスケーキはバタークリームのものであった。また、日持ちするとはいえ、数日で味が落ちたものであった。

とにもかくにも、女というのは男に選ばれてなんぼ、正妻になってなんぼ、「寿退社」といって「結婚することになりました」という正社員の地位からの撤退が「女子力の晴れ舞台」であった。

私はさまざまの理由で女子力がなかったので、いろいろな不運もあり、結局老人になるまで独身で来てしまった。しかし、昨今の「ジェンダー平等」なるマスコミなどの見出しを見て、「ああ、女性の人権も上がってきたのであるな」と感心していた。

私は女子力がなく、独身なので、「子供部屋おばさん」として親戚一同から遠ざけられてきていたので、身内からも普段は全く連絡がない。昔、正社員を少しやっていた頃には、少ないボーナスの半分くらいが先輩女子社員の結婚祝いに消費されていたので、人付き合いが苦手になっている偏屈な私は、連絡がなくても、孤立していても原則仕方ないと思っている。貧しいのでお祝いをすると食費にも困るのが本当だからである。

まあ、例外といえば、やはり、非常に近い身内の結婚とか出産なんだが、身内も結婚とか出産することになるとなぜか連絡をくれるのだ。これは、正直複雑なんだが、なぜかというと、私が何度も自分の誕生日をアピールしても、プレゼントはおろか、「お誕生日おめでとう!」とすら、いわれたことがないのに、結婚や出産の予定が入ると連絡が来るということだ。私の子供でもないのに、これは驚くべきことである。私の信条は普段からの付き合いがあってこそのお祝いであると思うからだ。

そういう近しい身内は、おしなべて、平成から令和にかけても「女子力が高いでしょ」的なメッセージ、あるいは「女子力低いっていわれました」的なメッセージが目に付く。私の妬み嫉みひがみであるといわれてもそれはそうかもしれない。私は「女子力」を持ったことがないので、多いか少ないかがわからないので、メッセージに書いたこともないのである。

そもそも、相手にろくに挨拶もしないのに、祝い金とか期待するというのは、それだけでも、いや、それこそが、いわゆる「女子力」なんだろうな。相手が、いわゆる女子力のない身内でも、生身の人間であるということを忘れていられるというのは、女子力というのは相当に人生を助けてくれる力であるようだ。とはいえ、そういう近しい身内も、加齢をして女子力が枯れてきたら、ただの人間にもどっていくのであろうかと、今から楽しみにしている。

でも、私はもう老人だから、身内の女子力が枯れる頃には、三途の川をわたっているのに違いない。孤独死、干からびてから通報されて発見・・・というのを覚悟して生きるしかあるまい。

身内は私のnoteなど決して読まない(>_<)から、書くのであるよ🍀

ぱなせあつこ

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