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在宅介護*観察日記『義母帰る』

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要介護4(→5)の義母(90代)が特養からまさかのリターン。同居の義父(90代)はアルツハイマー型認知症が進行中。再びの在宅介護は夫(60代)が中心。老後ノープランの義父母を、引… もっと読む
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記事一覧

no.31 そして義父が残った

午後4時から納棺の儀。 生まれて初めて、納棺に立ち会う。 葬儀社から納棺師の男性が来られる。 40代半ばくらいだろうか。 この方の手により、義母は白装束の姿になっていった。 無駄のない、美しい手捌き。義父、夫、私で見守る。 今さらながら、白装束は旅立ちの姿なのだと気づく。 化粧が施されると、義母の表情からは、病のあとが抜けたように見えた。 義母がこだわった、柔らかな長めの髪に櫛が入り、良い感じに整っている。 棺に蓋をする頃には、気持ちに区切りがついた。立ち会うことができて

no.30 ミッションインポッシブル〜義母の葬儀(その2)嫁、義母を運ぶ

ともあれ、葬儀社との契約は済んだ。 次は、自宅葬の準備である。 葬式は義父母の部屋で行なうことにした。が、ここで問題発生。 義母を安置するスペースを確保するには、介護用ベッドを撤収するしかなく、しかも、そのベッドにはまだ義母がいるのだ(汗) レンタル会社に電話をすると、「すぐに引き上げに伺います」とのこと。 が、そうなると、すぐさま、ベッドを空けなくてはならない…(汗) 葬儀社の女性スタッフと夫と私とで、あたかも、ピンチの場面でマウンドに集結するバッテリーと伝令みたいに

no.29 ミッションインポッシブル〜義母の葬儀(その1)

義母が亡くなって、百日が過ぎた。 亡くなった日から火葬までの三日間は、あわただしく、目まぐるしく、そのあと四十九日頃まではゆっくりと、四十九日頃から先は、またバタバタと過ぎてゆき、気がつけば、はや師走である。疲れたw 義母が亡くなった日は、最高気温が38℃の猛暑日だった。 昼休みに夫から着信があり、何だろう?と出てみると、義母が息をしていないと言う。 「とうとう、この日が来てしまった」という思いと、「その日が今日とは思わなかった」との思いがめぐる。 取るものもとりあえず帰

ご報告が遅くなりましたが、 8月25日午後、義母が亡くなりました。 これからは、義母との最後の日々を思い起こしながら(ゆっくりになると思いますが)投稿しようと思います。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

no.28 義母、空へ還る(その3)嫁、最後の夜にキレる

8/24(木) レンタルしている車椅子と車椅子用のスロープを引き上げてもらう。 ケアマネ氏が「一旦、返却しましょうか?」と提案してくれたのだ。 しばらくは、デイサービスにも、ショートステイにも、行けそうにない。 たとえ使わなくても、レンタルしている間はお金がかかる。 そこで、一旦返却をし、また必要になったら、あらためて契約することに。 現実を受けとめて、折り合わなくてはならない。 仕事の帰りにドラッグストアへ。 義母のオムツ、パッド(昼用・夜用)を購入。計5,040円也。

no.27 義母、空へ還る(その2)義母とわたし

8/21(月) 義母の体温は高めを推移。 37.8℃ →37.5℃ →37.7℃ 朝:経口補水液ゼリー 50cc弱  昼:ハイカロリーゼリー 1個 夕方巡回のヘルパーさんによると、義母に声掛けをしたけれど、目をこちらに向けるだけで、返答がなかったとのこと。 義母は、いつもの「ありがとうございます」が言えなかった。 夜、経口補水液ゼリーをスプーンにのせ、口元へ持っていくも、拒まれる。 「せめてひと匙でも」とスプーンを押し込む。が、よほど嫌だったのだろう。 スプーンをくわえ

no.26 義母、空へ還る(その1)

義母の介護を通して、実感したことがある。 ひとつは、看取り期に入ると「食べられなくなる」というより、 「呑み込めなくなってしまう」ということ。 義母の場合も、呑み込む力が足りないために、いま食べたものがノドの奥から先へ進まず、行ったり来たりしていた。 もう一つ。 在宅介護は、ふだんの暮らしの傍にあるのだな、ということ。 在宅介護をしている間も、私は仕事に行き、夫は家事をし、義母の食事の介助をしていた。 義父は義母のとなりで、いつものように、大音量でテレビを観ていた。 宅配

no.25 義母、誤嚥性肺炎になる(その3)

8/19(土) 8 : 30 往診あり。 昨日からの点滴と酸素吸入の成果であろう。義母の体温は平熱まで下がり、呼吸も落ち着いたように見える。 医師が義母の肩に手を置き、耳元で 「〇〇さん、頑張りましたね、もう大丈夫ですよ」と声を掛けると、 義母は、ゆっくりと絞り出すように、 「ありがとうございます」と言った。 かすれた、小さな声ではあったけれど、それは久しぶりに聞く、義母の声だった。そして、私が最後に聞いた、義母の言葉になった。 診察の後、医師は感心した様子で、 「三十

no.24 義母、誤嚥性肺炎になる(その2)

8/18(金) 急遽、午前中だけ休みをとった。 理解のある職場に感謝。 夫は「休まなくても良いのに」と言ったのだが、本心とは思えない。 昨晩は「おばあちゃんが死んだら困る」と、狼狽えていたのだ(*_*) それより何より、私は医師の話を直接聞きたかった。 朝、義母の様子を見に行く。 点滴をしている側の腕の、とくに肘から下が水風船のように膨れあがっていた。大丈夫なのだろうか。 (なんと言うか、ポパイみたいになってる…) 医師が来るまで、義母の傍で待機しながら、巡回のヘルパーさ

no.23 義母、誤嚥性肺炎になる(その1)

8月17日木曜日。 仕事から帰ると、家の中の空気がいつもと違う。 何やら嫌な予感がする。 案の定、夫はとても不機嫌だった。 私の顔を見るなり、 「今日はもう、大変だったんだよ!」と言った。 (な、なんだよ、いきなり) 深呼吸をして話を聞く。 聞けば、義母はデイサービスに行ったものの、すぐに帰されたのだそう。 (これで2回目) 今月に入って、義母の体調は不安定になっていた。 時々38℃台の熱が出て、そのときは解熱剤を使うのだが、下がりきらずに微熱が続くこともあった。汗をかく

義母、峠を越えることができました。医師も「お母さんは強い方です」と感心しきり。とはいえ、体の機能はギリギリの超低空飛行。「毎日が寿命と思ってください」とのこと。スキのボタンで応援してくださった皆さま、ありがとうございました。心強かったです。詳細はまた、noteでご報告します🌻

義母が誤嚥性肺炎に。医師は、義母がどこまで持ち堪えることができるかにかかっているとのこと。わからんけど、焦る。深呼吸、深呼吸…

no.22 義母、95歳に。義母の食事と今後のこと。

7月の終わりに、義母は95歳になった。 ショートステイに行っている間に誕生日を迎えたので、施設からプレゼントをいただく。 心遣いが嬉しい。こういうことに励まされる。 ショートステイから戻った義母は、見た目もすっきりとして、痰の絡みもなくなり、元気そうに見えた。 次のショートステイがもう待ち遠しいw ここに来て、もっとも悩ましいのは食事である。 義母の食事は市販の介護食【区分4 : かまなくてよい】を利用している。 ①主食:キユーピー やさしい献立 なめらかごはん (1袋

no.21 はかせてみせよう、紙パンツ大作戦

義父が便失禁をした翌日、私は義父の部屋の部屋へ行った。 義父に紙パンツをはいてもらうためである。 私 :「お義父さん、これからは紙パンツを使ってもらえませんか」 単刀直入であるw 昨日の便失禁に触れなかったのは、義父が「失禁などしていない」と言う可能性があるからだ。(認知症なので) そうなると、のっけから話がややこしくなってしまう。 義父 :「わかった」 私 :「!」 しかし、ここで安堵してはならない。 なぜなら、義父の「わかった」は、ほとんどの場合、その場しのぎの方便