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#03 街中にウシとヤギが溢れる話 -どぅー-

こんにちは!にょぎどぅー日記の「どぅー」です。にょぎどぅー日記は、ひょんなことからバングラデシュにしばらく住むことになった仲良し女子大生「にょぎ」「どぅー」の2人が、バングラデシュでの暮らしを通して考えたこと、感じたこと、学んだことを発信していきます。全く思考回路・性格が違う2人が、同じテーマをもとにゆるっと書いていきます。日本に住んでいたらきっと気づかない「日常の当たり前ではなかった当たり前」を発信することで、少しでもみなさんの世界が広がったらな、と思います!

今回のテーマは「犠牲祭」。バングラデシュで大切にされている祭事のひとつを初めて体験をして感じたこと、考えたことを話していきます!

「犠牲祭」とは?

7月9日から3日間はEid al-Adhaと言う休暇でした(実際には、通常の休暇や他の祭日と合わさって大型休暇でした!)。犠牲祭とも呼ばれるこの休暇では、富を持つものが貧しい人々へウシやヤギの肉を分け与えるという、イスラム教の教えによる習わしがおこなわれます。休暇の数日前から街中にウシやヤギが溢れ、裕福な家庭はこれらを買ってお世話をして、Eidになると専門の方が来て召していきます。召されたウシやヤギは丁寧に皮を剥ぎ、お肉をいただきます。

市場に行って思ったこと

Eid休暇の数日前に、市場へ行ってきました。そこには、普段いないウシやヤギが大量に繋がれていて、多くの人で賑わっていました。ウシやヤギを見ては値段を言い合い、購入すると、数人の男性らで家へ連れて帰っていました。時々暴れるようなウシやヤギもいるので、その時には大人数で群がって押さえ込んでいました。

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この犠牲祭の本来の目的は「裕福な方々が貧しい人々に肉を分け与えること」です。しかし、この市場の様子を見ていると、「いかにして大きなウシを買うか」という見栄の張り合いに感じました。裕福層が自分たちの富を近所に見せびらかすために、大きなウシを買い占めて、家の前に繋ぎ、その日が来たら召す、と言ったことがそこらじゅうで起きていました。

年間行事の本来の目的を失いかけることはよくあることかと思います。クリスマスが大量のプレゼントを買う日になっている等…。この犠牲祭もそういう風に変化しつつあるのかなと感じました。本当に「富の分配」を考えてこの行事に参加をしている人がどれほどいるのだろう?

はじめて目の前にして

私は仕事柄、農村部にある50人の子ども達が生活をしている寮(アカデミー)で、この犠牲祭を経験しました。アカデミーでもウシとヤギを1頭ずつ購入して数日間可愛がった後、みんなが見守る中召されて皮を剥がされ、調理され、口に運ばれていきました。私は人生ではじめてその一部始終を目の当たりにして、プレートに乗ったカレーを見るのが辛くなりました。あの時に、小さな目に浮かんでいた涙が脳裏に焼き付いています。

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毎年やってくる犠牲祭。アカデミーの子ども達は(特に上級生たちは)、この光景に慣れているのか迷いなく手を動かしていました。これが当たり前になってしまう世界ってどういう事なんだろうと、モヤモヤを抱えてながらその様子を眺めていました… 。もしかして、ウシがアカデミーにやってきた時からウシを「食べ物」として見ていたのかなとか思ったり…。慣れの怖さを感じたのでした。

日本人として思うこと

「いただきます」「ご馳走様でした」という言葉の大切さを良く感じます。目の前に運ばれてきたプレートにすぐに飛びつく子ども達を見て、少しは手を合わせたり感謝をしたりしようよ…と思ってしまいました。みんなで一斉に手を合わせて大きな声でいただきますと挨拶をするという、この数秒がないことに違和感を感じざるを得ませんでした。


犠牲祭を現地で体感して感じたことを綴りました。あなたはどう思いますか?ぜひ一度は自分の目で確かめてほしいと思います。

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