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【04】褒められてるんだけどモヤモヤしてしまう話

バングラデシュは世界で類を見ないほどの親日国。「日本から来ました」と言って嫌な顔をした人に出会ったことがない。逆に日本人だからとサービスをしてもらったり、優しくしてもらったりといったことは日常茶飯事だ。

日本のサポートがなければ今のバングラデシュはないというほど、インフラから始まり、保健や教育、農業などの各分野において日本の手厚い支援があってバングラデシュは今日まで発展を遂げてきた。だからベンガル人にとって日本人は恩人みたいな存在だし、人によっては日本人のことを神様って呼んでくる。もちろん、この歴史の中での日本人の謙虚な態度や、ベンガルの文化を尊重しながら活動をしてきたという図りきれないほどの日本の先人の方々の努力の成果とも言える。

そんな中で生活をしていると、“ジャパニ”は無敵ワードになる。日本人であることは事実だし、誇りだし、相手が喜んでくれるし、言わない手は無いなと思って、今までは積極的に“アミ ジャパニ(=I'm Japanese)”と言っていた。しかし最近これに対して少し疑問を持つようになってきた。

“アミ ジャパニ”というと、急に態度が良くなってサービスをしてくれたり、日本を褒めまくったり、なんなら私のことを褒めまくったりしてくれる。「あなた最高!」「大好き!」「一生の仲間だよ」が飛び交う。

嬉しいことなんだけど、私のことをちゃんと見てくれていないように感じて、嫌な気持ちにもなっていることに最近気がついてきた。もし中国人ですって言っていたら?韓国から来ましたって言ったら?彼らは私と陽気に話してくれるのだろうか。あんまり考えにくい。あくまで“ジャパニ”と仲良くなりたいのであって、仲の良い関係を作りたいのは私ではない。そう思ってしまった瞬間に、“ジャパニ”を言いにくくなった。この無敵ワードを使わずに仲良くなるべきなのではないか。しっかりと私と向き合ってほしい、私の話を聞いてほしい、私の性格や考えを知ってほしい。“ジャパニ”と仲良くなっておけば将来何か助けてくるかも〜みたいな安易な思惑になんて乗りたくない。

おそらく「あなた最高!」は「日本人最高!」だし、「大好き!」は「日本人ラブ!」だし、「一生の仲間だよ」は「日本人のこと一生尊敬します」っていう意訳ができてしまう。全員がそういう訳ではないと思うけれど、急に態度を変えたりとかそんな姿を見てしまうと落胆してしまうのだ。日本人として生まれたこと、出会ったベンガル人にとって「日本人と言えば私」という唯一の存在であること、そして褒め言葉をたくさん投げてくれることに対しては感謝でいっぱい。でも感謝の気持ち以外の気持ちも共存しているのはたしかで、最近はこっちの気持ちの方が大きくなりつつある。

うーん、本来嬉しいはずなんだけど…。もっと人間性を見てよ!と思ってしまうのはひねくれているのだろうか…?中国人だとしても韓国人だとしても、もしくはベンガル人だったとしても、こうやって楽しくお話してほしいな。“ジャパニ”という要素以外にも興味を持ってほしいな。

生まれながらの要素を褒められてもありがとうしか言えない。それよりも、自分の経験や考え方といった後天的に身につけてきた部分で「あなた最高!」「大好き!」「一生の仲間だよ!」と言ってくれる人と出会いたいと思ってしまうのだ。

毎週国籍を変えて暮らしてみようかな。まずは中国人になってみようかな。


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