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語彙力なんてなくてもいいかもしれない

難しい言葉を知っていると「かしこいなあ〜」って思いますよね。

私は昔から難しい言葉、比喩を使っている人に憧れていました。
かしこく見られたかったのかな?
バカにされたくない、頭悪いと思われたくなかった思いから、きっとそういうかしこい系の人に憧れていたんだと思います。

けれど、最近はそうでもないかもと思い始めました。(失礼かもしれないけど)

私は昔、同人小説を書いていた時期があります。
中学生の時はハマっていたアニメの二次創作小説を書いて楽しんでいました。
その小説がまさかの隣の席の男子に読まれ、すごく気に入ってくれたことがありました。
自分の作った小説を読んでくれて、恥ずかしかったけど嬉しかったのを覚えています。


専門学校生の時はpixivという創作サイトにアニメの二次創作小説を投稿していました。
作品数は多くはなかったけれど、それぞれ100以上のブックマークをもらえてすごく嬉しかったです。

誰かに自分の作品を見てもらえて評価をいただけることが本当に嬉しかったです。

しかし、当時は今よりずっと知識も語彙力もなかったし、今読み返してみると恥ずかしいくらいに表現力に乏しいです(笑)

それは私が憧れていた「かしこい」からはかけ離れた文章だったけれど、それでも好きと言ってくれる人がいて気づいたことがありました。

語彙力ってそんなに必要ないかも。


難しい言葉を知ってる、使えるってかっこいいけれど、その言葉を全員が全員知ってるわけじゃない。
難しい言葉を使われる度に「かしこく見られたいのかな?」とか「意識高い系かな?」と思ってしまいます(ひねくれ者代表です!笑)

いしかわゆきさんの「書く習慣」という本にあった、中学生にも分かる言葉で書こう。


これ、本当かもしれない。


難しい言葉を使えば使うほど聞いてくれる人、読んでくれる人を限定してしまう。
かしこい方たちの話がつまらなく感じるのは、その人たちにとっては常識的な言葉だったとしても、こちらからしたら「何それわからん」という見えない壁があるからだと思います。


自分にとっては常識なその言葉も、「これくらい分かるでしょ?」と相手に期待するのではなく、わかりやすい言葉で言い換えて伝えようとするだけで人柄が伝わるし、丁寧な文章になるなあと思いました。

私は語彙力をつけたい、表現力もほしい!と自分の文章にペケをつけがちだけど、
そんなに躍起にならなくてもいいのかもしれないなと思いました。

それよりも今の自分が精一杯できる表現で、一生懸命思いの丈を綴った方がつたない文章でも誰かの心に響くのかもしれません。

響いてほしい〜〜〜!響け〜〜〜!!
いつもそんな思いでnoteを書いています。
語彙力はそんなにいらないかもしれません。
これからもそんな難しくない文章を書いていきます。
というか、私には難しい文章は書けません!(笑)

もっと気楽に文章を楽しみましょう!

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