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#511 「教育する」の主語は

 僕は東京都で小学校の教員をしています。2023年1月からnoteの更新をこつこつと続けています。2024年の目標は「noteの毎日更新」「30,000PV」「3,000スキ」です。そのために毎日継続してnoteを書いていきます。noteは日々感じていることや考えたこと、教育だけに限らず習慣化やお金についても書いています。もし、読んでいただき、共感いただけるなどしましたら「スキ」をポチッと押してください。毎日更新の励みになります。
 
 「教育する」の主語は誰なのでしょうか。僕たち教員は主語を教師、学校にして考えることが多いです。しかし、主語になるものは他にもあります。家庭や地域社会などです。子供たちは優秀な学び手です。学校や教師以外からも多くのことを学んでいます。その事実を抜いて教育を語ってはいけないと思います。

 先日、大学院の入学説明会で出ました。進学したいと考えている大学院から「本大学院では、教育の枠組みを学校教育に限らず、家庭や地域社会と大きな枠組みで教育について考えることができます。」と紹介がありました。いわゆる教職大学院は専門とする教科の授業力の向上や教科の専門性を高めるための場所です。学校教育の枠組みの中で教育について深めていきます。僕が興味をもつのはそこではないんだと改めて説明会の話を聞いて感じました。教職大学院という選択肢が自分にとっては違うことがわかった良い機会でした。学校の中というより、学校の外から俯瞰して学校教育について考えてみたいという思いが強いです。学校の中にいると自分の考え方が凝り固まってしましそうで怖いです。

 大学院に進学できれば1年間は学校から離れて、学校教育を俯瞰して見ることができる貴重な機会となるはずです。誰が教育をするのかという主語について自分の中での見方や視点が広がる機会になればいいなと思います。

 
 

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