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落ちている枝から膨らむ妄想と虚無

外を歩いていると枝が落ちているのをよく見る。
子どもの頃は形の良い枝を見つけたら、拾って、剣や魔法の杖に見立て振り回すなどよくしていたものである。
その頃の木の枝に対するわくわく感はまだ少し覚えていて、
今でも大きい枝や、形が特徴的で好みの枝を見つけると「お、良い枝だ。」
と目を止めてしまう。
落ちている枝は、時に芸術的ともとれそうな形をしていたり、独特な世界観を感じさせたりすることがよくある。
それで子供の頃はそういった枝をファンタジー的な世界に投影させていたのだろう。
子ども心を忘れなければ、落ちた枝を見ると何か想像が自然に広がっていく
大人になった今でも。
枝が震えだして回転してハンドスピナーみたいになる。
枝の形はいびつで左右対称じゃないから同じ場所で回転し続けられない。
予想できない動きをして、こっちに飛び込んでくる。
思わずよけるがお気に入りの服にこすれてほつれてしまう。

ただ最近になって私はそれが虚無に感じるのだ。
枝を見て広がる空想というもの私にとって何の役割も果たさない。
幼かった頃の私はそういった想像は楽しかったのだが、今の私からすれば別に楽しいものですらない。
こんなことより、考えなければならないことがあるように思えてしまうからだ。「こんなことしてる暇があるの?」「やらなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
昔大人に言われてうるさかった言葉が自分の心から湧いてきてしまう。
そしてその言葉にまたイライラする。
だから私は枝を見て、想像が広がって、虚無を感じて、イライラするのだ。
情緒が心配である。


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