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「どうにかなる」どうにもならないものはないのが自然界のルールです。今日の写真は焼きたてのミルクパンをサンドイッチにして食べました。

原因があって結果があるのではありません。その間に縁が働くのです。
縁がなければあなたとわたしが出会うことはないのです。

わたしとあなたはこの世に存在していました。でも出会うことがなければわたしはあなたを知らずにいたのです。あなたもわたしを知らずにいたのです。

縁が無ければ知り合う結果は生じなかったのです。

何事も自分が作用して結果が出るのです。自分に関わらなかったことの結果は知る由もないのです。見た、聞いた、触った匂った感じたと自分に関わらないことの結果はわからないのです。

初めて聞かされたことは聞いた時点で知ることになりますから聞かなければよかったと思っても手遅れです。初めて話すことも同じです。話をした事実は無かったことにはできないのです。

縁が働くと必ず結果が出るのです。

縁とは自分の行動です。思っただけと思っても思った事実は縁となってなんらかの結果が出てくるのです。

寝過ごした。約束の時間に遅刻すると思えば遅刻する結果に近づくのです。
まだ間に合うと思えば間に合う可能性が近づくのです。

どちらにせよ結果は出ます。結果が出ないのは夢の途中で目が覚めたときぐらいですが、寝過ごしたのが夢でよかったという結果になるのです。

何事も結果が出るのですが、その結果を予想せずに結果に振り回されるのが嫌だから何もしないという選択肢を選んだとしてもそれが縁となって結果が現れるのです。

事故を予知できたのに何もしなかった結果、事故が起こったのならばそれは犯罪です。予知できて自分ができることをし尽くしても防げなかった場合は責任を負わなくていいのですが予知したことを悔やんでしまうのです。

予知ですから縁が働くと異なった結果になるのです。そして外れて良いのが悪い予知です。人はそのようにして悪い結果を避けているのです。

予知できずに悪い結果となるのは不可抗力ですが、予知できれば防げた悪い結果です。幸せとは悪い予知が良い結果に変わった時に生じるのです。

学びましょう。悪い予感が当たった経験が学びとなって良い結果になってきます。どのような縁になるかわかりませんが、感謝と慈愛を持って接すれば悪い結果になったとしても悔いることはありません。

慈愛とは相手を尊重して人格を認めることです。何かをしてあげることではないのです。

知らないことは無い人などどこにもいないのです。そんなことも知らないのかと思わないことです。自分が何を知らないのかはわかりようが無いのです。

わかったつもりでもわかっていなかったわたしが言うことですから疑って聞きましょう。質問をお持ちしています。

#エッセイ #パンダのポッさん #一万個の幸せ

経済的に幸せにはできないかも知れませんが精神的に幸せにする自信があります。と言いましたがついてきてくれました。今は、精神的に幸せだから次は経済的に幸せにしてと言われています。