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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(原題:Once Upon a Time in... Hollywood)①


クエンティン・タランティーノ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」。
とんでもない映画と出会ってしまった。あまりに凄すぎるし、深すぎるし、自分がつけ入るすきもないくらいに世のうるさがたがもう語りつくしている映画なので、伏線として、アニマルズ「朝日のない街」レイダース「キックス」ディック・ディル&デルトーンズ「ミスター・エリミネーター~ミザルー」を事前に置かせてもらったというわけだ。
自分的には19歳だった1969年というのは大いなる変革の年と信じて疑わなかった20代。
ところが年月を経て、ふと振り返ると、1969年というのは、変革の年ではなく、終息の年だったということに気づき衝撃を感じていたのだった。
変革の年は1967~68年にロックも最盛期を迎え、先述のテリー・メルチャーも理事として参加していたモントレーポップフェスティバルでオーティスが歌い、ジミヘンのストラトが唸り、それはフェスの原型を作ったと言っても過言ではない出演者の豪華さ。
ところがオーティスが飛行機事故で亡くなり、翌年マーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、1969年に催されたウッドストックでは黒人たちはブラックパワー、ブラックパンサーのほうに流れてしまう。
ウッドストックとほぼ同時期に開催されていたのだが、政治的な配慮なのかずっと封印されていて、先日、公開された「サマーオブソウル」というブラックだけのフェスはただならぬアフリカ系アメリカンのアイデンティティーを叫ぶ集会と化していた。
そう1969年は終息の年だった。安田講堂は陥落し、ホーチミンおじさんは息を引き取り、オルタモントでストーンズのライブ中にヘルスエンジェルスが撃った銃で観客が死亡、公開された「イージーライダー」の映画の中では主人公二人が最後に射殺されて、ハーレーの燃える姿が目に焼きついている。
そんな時代の断末魔の1969年12月に頭脳警察は結成され、世に飛び出していくことになるのだが、この1969年8月9日にピンポイントでロックした映画がこのみなが言う通称「ワンハリ」。
そうシャロン・テートが虐殺されたあの1969年8月9日へ向かって行く映画なのである。

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