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しょーもな日記。2024/01/07

【ぺちぺち】
子どもがわたしの顔を激しく叩くのにハマってしまい最悪だった。寝ているわたしを起こそうと顔を叩き、わたしが寝ていなくてもただ叩いたりしていた。本当に痛いので、「痛いよ、やめてね」などと言うが伝わるわけもなく叩かれていた。
彼のブームは次第に少しずつ変化していき、今はわたしの頭や肩を優しく叩くことにハマっている。
これはありがたい。可愛いし、気持ちいい。
最悪からの、幸せのひととき!


【ゆめかわいい】
ゆめかわいい、とかいう単語が突然流行り、わたしが好きそうなもの、及びその周辺のものが全部まとめて「ゆめかわいい」とラベリングされてしまったことがあった。もっと、その中でも、こだわりがあるんだよ!薄ピンクと薄紫ならなんでも良いんじゃないの。サブカルチャーを愛でていると、ある日突然どこかの誰かに全て奪われ消費だけされて投げ捨てられることがあり、とても恐ろしい。


【人生最後に食べたいものは?】
人生最後に食べたいものがない。生きているから、生きていたいから、生きるために食べるのであって、それがないならもう食べる必要がない。栄養摂取という意味ではもちろん、日々の楽しみとして、コミュニケーションのきっかけなどとしても。生きるから意味がある。

だから、そうですね。人生を終える5時間前くらいにご飯、野菜たっぷりの味噌汁、卵焼き、ウインナー、納豆辺りの品々をを腹八分目くらいに食べて、調子良く快適な状態になりたい。これを食べたいってのはないけど、出来れば満腹で苦しいとか、お腹が空いて切ない状態で終わりたくないのでちょうど良い食事をしておきたいなと思う。うーん、ウインナーはいらないかもな。(ゲップが臭くなるし)

↑こんなことを日頃思っていたのですが、いざ地震が来た時。多少なりとも死ぬのかもという恐怖を感じた時。
「人生最後に食べたいものは?」という問いかけの無意味さを感じました。いざ終わる時には全く役に立たない。そういう思いを巡らせるような選択肢があること自体が、幸せなことすぎて、人生を終える瞬間と結びつかないような感じがした。

もしくは、想像力が足りないことが問題で、今回地震が怖かった体験を経てもう一回考えてみたほうがいいのかもしれない。「人生最後に食べたいものは何か」
「人生最後に食べたいものは何か、を考える意味とは」

ちょうどいいので、ライオンのおやつを読み始めることにする。

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