DEATH DAYS(2022/3/14鑑賞)

 今、この信号を渡ってしまえば死ねるな、とか、この包丁を内側に向ければ死ねるな、とか、そういう考えがふと頭をよぎることが、昔からよくある。でも死なないし、死ねないし、死にたくないし。ニュースで聞いた、無差別殺人の事件だって、今日わたしが住む街で起きたかもしれない交通事故だって、何万分の1かの確率で偶然わたしじゃなかっただけで、そう思うと、ああ、ずっと家の中にいて安全なまま過ごしたいなと思ったりする。「行ってきます」と言って仕事に出かけた母の身を案じたりもする。

 どうしてわたしはここまで、死ぬかもしれない今日を生き延びられているのだろう。どうしてそういう人のほうが相対的に多いのだろう。それを不思議だと思う瞬間がここ1、2年で度々あったものだから、この映画と出会ったことには、縁を感じざるを得なかった。やっぱり人生、出会うべきものに出会うようにできている。

 時々、理想の死に方について考える。主人公の妻が言った。「幸せって、疲れるんだな」。そう言って死んだ。わたしの理想の死に方の答えが、そこにあるような気がした。白いドレスを着て、不協和音な音楽で歩いて、両手に荷物を抱えて。幸せにはもううんざりと思いながら、下着姿で辛ラーメンを作っている途中で死ぬ。なんて最高な最期だろうか。

 人生でいちばん苦しいことは、選択することだ。だからこそ、いつ死ぬかなんてことは、誰かに決められたいくて、できればそれがいつなのか、あらかじめ教えてほしい。日付だけ知っていた彼らだって、同じことを望んでいたはずだ。けれどわたしたちは、いつ自分が死ぬのか、誰も知らない。そういう意味で、わたしたちは毎日が「DEATH DAY」だと言えるのかもしれない。

 「今日も、死んでなくて、おめでとう」。そう自分に言いながら、眠りにつく。やったね!



#映画感想文 #DEATHDAYS #長久允

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