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DEATH DAYS(2022/3/14鑑賞)

 今、この信号を渡ってしまえば死ねるな、とか、この包丁を内側に向ければ死ねるな、とか、そういう考えがふと頭をよぎることが、昔からよくある。でも死なないし、死ねないし、死にたくないし。ニュースで聞いた、無差別殺人の事件だって、今日わたしが住む街で起きたかもしれない交通事故だって、何万分の1かの確率で偶然わたしじゃなかっただけで、そう思うと、ああ、ずっと家の中にいて安全なまま過ごしたいなと思ったりする。「行ってきます」と言って仕事に出かけた母の身を案じたりもする。  どうしてわ

    • 「愛なのに」(2022/2/27鑑賞)

       自分の中にある、どうでもいい、という感情をただひたすらに見つめると、愛ってなんなのか少しわかるような気がする。そんな作品だった。どうでもいいと思われることがいちばん悲しい。人と関わる中で自分がそう感じることもあれば、自分でも気づかないうちに、誰かをそういう風に扱っているような気もして、観終わったあと、感情の置き場所に困ってしまった。  その感覚が、今作で脚本を担当された、今泉力哉監督の前作『愛がなんだ』を観たときとそっくりだったのだ。わたしが誰かを想うとき、その人はきっと

      • 「ちょっと思い出しただけ」(2022/2/11鑑賞)

         この日の思い出ひとつで、これからの人生を生きて行ける。そう思えるような美しい記憶を重ねて、わたしたちは日々を送っている。そういう宝物みたいな風景をかき集めた映画だった。日付を覚えると思い出になってしまうからダメ、なんて言葉を聞いたことがあるけれど、本当にその通りだと思った。  どれだけ最悪な終わりを迎えたとして、結局あの日がとても幸せだったことを憶えているから、悔しいし、寂しい。だけどそんな気持ちも、翌日になれば大したことではなくなっていて、歳を重ねるとは、そういうことな

        • 「コーダ あいのうた」(2022/1/30鑑賞)

           「くたばれクソ兄貴」。身体全体を使い手話で兄へ悪態をつくルビーの姿に、言葉に反して、彼女の深い愛情を感じざるを得なかった。その、悪態をつくための手話を覚えるために、どれだけの時間を要したのだろう。  そんな風に、作中では描かれなかった彼女の幼少期に想いを馳せ、また涙が溢れる。初めて家族以外の人と話をするとき、どれだけの勇気を振り絞ったのだろうか。歌の楽しさを知ったとき、物理的な意味で家族から理解してもらえないことに、どんな感情を抱いたのだろう。それでも彼女は心から家族を愛

        DEATH DAYS(2022/3/14鑑賞)

          フタリノセカイ(2022/1/25鑑賞)

           私が最初に知った愛は、決して性愛ではなかった。それなのに歳を取るに連れて、性愛が優先されるべきだという考えの人が多くなっていくような気がする。私はいつもそれを、置いていかれたような寂しい気持ちでじっと眺めている。  人は何を持って「愛されている」と言えるのだろうか。どうして傷付くことは簡単なのに、自分に向けられた愛を受け止めることは、なかなかできないのだろう。その答えはきっとひとつじゃなくて、人の数だけあるのだと思った。ふつうの愛なんてこの世のどこにもない。  作品を観

          フタリノセカイ(2022/1/25鑑賞)

          「さがす」(2022/1/22鑑賞)

           家の外に出たとき、父はどんな顔をしているのだろうか。「父」や「母」や「学校の先生」。肩書きが名前になる人たちの、本当の名前のことを思った。父が飲み会で酔っ払っているとき、どんな話し方をするのか知らない。学校の先生が休日に、恋人とどんなデートをするのか知らない。それを想像したときの、生々しく、目を背けたくなるような感覚が襲った。    娘から見た「父」はずっと、頼りなくて、情けなくて、だけど憎めない人だった。娘のもとから離れた父の顔を、観客として見てしまったことへの罪悪感とそ

          「さがす」(2022/1/22鑑賞)

          12/31

           指を折ります。それでもわたしの指は、ほとんど痛みを感じません。代わりに痛みを感じている人がどこかにいるのかもしれないけれど、それはわたしの知ったことではありません。わたしたちは結局、言葉に勝てない。そう思うと、悔しくて、悔しくてたまりません。少し前には、言葉の頼りなさに絶望していたばかりだというのに、今夜はあの日もらった言葉を呪文のように心の中で繰り返し、抱きしめて眠る。それだけで、わたしの心は皮肉にも、笑ってしまうほど救われるのです。言葉は出会うべきときに、出会うべきひと

          つめたいよるのうた

           不健康とはほど遠く、でも健康とは言えない半端な毎日を送ってきました。あなたのことを思って、今日も風邪を引いて、隣人に叱られて、わたしはスキップをしながら帰ります。犬は嫌いだけど、猫と子供はもっと苦手。誰かの歌を信じられるようになったのは、とても最近のことでした。ボールを蹴ろうとすると、初めて酔っ払いのようになれます。髪を乾かすのに30分もかかるのは、煩悩に侵されているからです。他人に言われるのはむかつくから自分で言うけれど、わたしは最低です。そして、あなたも最低。そう言って

          つめたいよるのうた

          12/18

           悲しみに押しつぶされそうなときは、ひとりで外を歩く、これに限ります。どれだけの痛みを抱えていても、人は案外、ひとりで立って歩けるもので、冬の景色を「綺麗だなあ」と思うことだって簡単にできる。なんだ、全然平気じゃないかと強がるために、自分の足で外に出るのです。歩くときは必ず、音楽を聴きましょう。ただし、誰かのせいで聴くようになったものではいけません。わたしがまだ、ちゃんとわたしだった頃に、若さを振りかざして好きだと思えた音楽を、思う存分聴きましょう。それしかわたしを救えない。